2003年09月10日(水) |
こうして面が割れてゆく |
本日は「最悪の事態(後編)」をお届けするつもりだったのだが、前編をアップしたあと、「私も不気味な思いをしたことがあります」というカミングアウトメールをいくつも頂戴し、すっかり驚いてしまったので、急遽差し込み。
送ってくださったのはすべて女性の日記書きさんだ。尋常でない長さのメールが毎日のように送られてきて困った、しつこく食事に誘われた、社名など明らかにしていないのに「今日あなたの会社の前を通りました」とメールが届いた、さらにひどいのになると見知らぬ人から突然自宅に電話がかかってきて「いつも読んでます」と言われた、というものまであった。
どの方が書いておられるのも、OLであったり子育て中の主婦であったりする一女性の日常の一片を記した日記である。過激な性描写を売りにしているだとか、読み手の劣情をそそるような過去を赤裸々に告白しているだとか、いかにも議論好きで好戦的な匂いがするだとか、そういう意味で「目をつけられる」テキストはひとつもない。
それなのにどうして……とつぶやきかけて、いや、そうじゃないなと思い直す。
平凡な毎日を飾らずに綴るタイプの日記だからこそ、書き手の属性が透けて見えてしまうのだ。そしてときに、どのあたりに住んでいる、どこの会社に勤めているといったことを突き止められてしまうのである。
一週間も読み続ければ書き手の家族構成や生活リズムは掴めるし、過去ログをその気で漁れば通勤や通学に利用している交通機関や乗降駅を特定するのもそうむずかしいことではなさそうだ。
なんというスーパーを利用しているとか犬や猫を飼っているといった情報も絞り込みの手がかりになるし、サイトに書き手や子どもの写真が掲載されていればこれ以上のヒントはないだろう。
ファッション誌には「お嬢様のおしゃれ拝見」なるコーナーがある。いかにもお金がかかっていそうなファッションに身を包み、立派な自宅の庭でポーズを作って微笑む彼女たちは、
「大学の入学祝いにパパに買ってもらったベンツCL500が私の愛車。ドライビングシューズはもちろんエルメス」
「カルティエのジュエリーラインがお気に入り。だけど一点ものにも憧れるから、カスタムオーダーすることもしばしばです」
なんてことを実に自慢げに……もとい、無邪気に語っている。
が、私はこれを見るたび思う。誌面には「芦屋市在住のオカネモチコさん(××女子大三年)」とばっちり明記されている。お金に困って悪いことを考えている人がこの雑誌を目にすることはないと誰が言えるだろうか。「愛犬シナモン(ミニチュアダックス)と毎朝近くの公園を散歩するのが日課です」なんて載せて大丈夫なんだろうか、と。
そしてきまって、子どもたちに登下校のときは名札を外すよう指導している小学校の話を思い出すのである。
「自己顕示欲が強いからやってるんだろう」なんて言われることもある日記書きだけれど、さすがに顔を知られてもかまわないという人は少ないと思う。
メールをくださった中に、オフ会参加を躊躇する理由のひとつとして「写真が出回ったら怖い」を挙げている方がおられた。画像の流出は氏名や住所を知られるのと同じくらい、いや、ある意味ではそれ以上に恐ろしい。なぜなら出所が限られているから。もしそんな目に遭ったら人間不信に陥るだろうとさえ思う。
しかしその一方で、人は誰も「自分は見る側(流す側寄り)にはぜったいに立たない」とは言えないのではないか、とも思う。
憧れの日記書きさんが参加したオフ会に自分の仲良しが居合わせたと知ったら、オフレポに書かれていなかったことまで聞いてみたくなるだろう。メールやメッセンジャーで素敵な人だったかと根堀り葉堀り聞きながら、「ちょっと画像送ってよ」と口にしてしまう可能性はゼロではないのではないか。アルバムに貼りつけられた写真をその場限りで見せてもらうのとはわけが違う、それは重大なモラル違反であると知りながらも、好奇心に駆られて。私のところで止めるからいいよね、と自分に言い訳しながら。
小学生のとき、母に言われたことを思い出す。好きな男の子ができてもラブレターで告白するのはやめなさい、後々まで残るものの扱いには慎重にならなければいけないよ、と。
画像の流出に悪意は必ずしも必要ではない。「ここだけの話」が決してここだけではすまないように、こうして本人の与り知らぬところで与り知らぬ人たちに面が割れてゆくのだ。
このサイトをはじめてもうすぐ三年になる。幸いにもいまのところ、個人を特定された、もしくはされかけたためにサイトの休止や移転をせざるを得なくなったという憂き目には遭わずにすんでいる。
それでも、「顔」を含めた個人情報の流出には注意しなくては、という思いは大きくなることはあっても小さくなることはない。
設定を多少デフォルメしようが私生活を公に晒すなどということをしているかぎり、この手のリスクはつきまとうということは常に心に置いておく必要がある。かといって、起こるかどうかわからないことのために出会いの芽を片っ端から摘み取ってしまうのは、突然歩行者が飛び出してきたら……を恐れて車に乗らないのと同じことのような気がする。つまらないし、あまりにもったいない。
世界は広げたい、されどトラブルは怖し。多くの日記書きさんをモニタの前だけに留まらせているのはこのあたりの事情ではないだろうか。
【あとがき】 「ここだけの話にしてね」と言われて聞いた話を、一度たりとも口外したことがないという人はいないでしょう。カテゴリーの違う友人には話したり、そのときは黙っていてもしばらく経ったら勝手に時効を作って「昔のことなんだけどね」なんてやったことはありませんか。人の口に戸は立てられないと言いますが、画像の流出もそれと同じだろうなと思うわけです。容認しているというのとはまったく違いますよ、ただ「止めようがない」に近いものがあるという意味。 悪名高き某掲示板に貼りつけられる、なんていうのは流出の中でも最悪のパターンだけど(過去にそこで三人の日記書きさんの写真を見たことがあります。本当に本人だったのかは知りませんが)、仲間内で画像が飛び交うというのはきっと普通にあるんだろうなと思います。ビデオをダビングして家庭内で楽しむ、みたいなノリで。画像に関しては、自分で用心する(撮らせない)か、そういうこともあるかもと覚悟はしておくか、それしかないと思います。 |