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2003年06月01日(日) 悩みの相談

朝の家事をひととおり済ませたら、グレープフルーツとヨーグルト、もしくはコーンフレークを食べながら新聞を読むのが私の日課。
なかでもまっさきに開くのは家庭欄だ。毎日新聞のその面には「女の気持ち」という投書欄があり、私はそれをこよなく愛していた。毎日書き手が変わる文章は食堂の日替わりメニューのよう。心に響けば切り抜いて取っておき、思うところあればこの日記でネタにしてきた。
が、最近新聞を讀賣に変えたら、投書欄のあった場所が「人生案内」という悩める人々のための相談コーナーになってしまった。
悩み相談といえば、中島らものところに寄せられるものでもないかぎり、「深刻」「苦しみ」「湿っぽい」が相場である。正直言って、朝一番から聞きたい話ではない。じゃあそこだけ読み飛ばせばいいじゃないかと言われそうだが、こういうところが妙に律儀な私。一面一面制覇していきたくて、悩み相談だけ後回しというわけにはいかないのだ。
さて、新聞のみならず、たいていの雑誌にも悩み相談室なるコーナーがあるけれど、私はこういうところに相談を持ちかけようとする人たちの気持ちがいまひとつわからない。たとえば法律や医学の専門家の意見を聞きたくて、ということなら理解できるのだが、多くの悩みはそういうものを求めた内容ではなく、讀賣新聞では映画監督や作家、大学教授などが回答している。「手紙を書く気力と掲載を待つ暇があるなら、解決のために動けばいいのに」とつぶやきたくなる相談が少なくないのだ。
「一年前に離婚して家を出ましたが、大切なレコードを持ってくるのを忘れてきたことに気づきました。レコードのことだけで前夫に連絡しづらく、困っています。どうすればレコードを返してもらえるでしょうか」
そんなもの、前夫と連絡を取るしかないじゃない。
「夫と別れたいと思っていますが、財産目当てで婿養子にきた人なのですんなり応じないと思います。先日、有名人も信奉する高名な住職がいる寺で護摩行を行い、離婚できるよう祈願してきました」
護摩行より弁護士のところに行きなさい。
とまあ、こんな具合でついついつっこんでしまうわけだ。
私はなにかをするとき、「その行為にどれだけの意味があるのか。投資に見合う成果が得られそうか」を考えずにいられないところがある。そのうえ、せっかちだ。得られるかどうかもわからぬアドバイスのために手紙をしたためる労を惜しまぬ心。採用を祈りつつ、数週間なり数ヶ月なりを過ごすことができる気の長さ。どちらも私にはないものだ。

なんて冷めたことを考えるのは、私自身が人に悩みを打ち明けるのが苦手だから、というのもあるのかもしれない。
少し話は変わるのだけれど、ひとつお礼を言わせてほしい。数日前の日記で、「私は悩みを相談するのが苦手。話したところでどうなるものでもないし、陰気くさい話を聞かされたって相手も困るだろう」というようなことを書いたところ、いつになくたくさんのメールをいただいた。
そのほとんどが、「それは違うよ。解決は望めなくても、苦しみを誰かに吐露することで救われるときがある。それに、暗い話をされたって迷惑なんかじゃない。遠慮されて悩みを打ち明けてもらえないほうが悲しい」というものだった。
ここしばらく、家族のひとりがつらい状況から抜け出すことができずにいるのだが、彼女が苦しい胸のうちをなかなか見せない。そこにあるのは「心配をかけたくない」であったり、「口にするのもしんどい」であったり、「話してもわかってもらえない」であったりするのだろうけれど、そばにいる人間にはそれが悲しくて切なくて。大丈夫なはずがないのに気丈にふるまおうとするその姿が、ますます私たちの心配を募らせる。そんな最中にいただいた言葉だったので、心にずんときた。
本当にピンチのときは信頼している人の前でぐらい、はだかになれなきゃいけないのかもしれないな、なんて。
五月のあたまに、「『私がついてるからだいじょうぶ』なんて言葉は、どん底にいる人間にはなんの救いももたらさない」と夢も希望もないことを書いたときにも、こんなメッセージをいただいた。
「たとえそのときは素直に受け止められなくても、大好きな人が親身になって言ってくれた言葉はいつか必ず『素敵な言葉』として甦る日がきます」
そのときは無理でもいつか、かあ……。
誰の思いを咀嚼する力もいまの彼女にはない。彼女の元に届く前に墜落する言葉たちを拾い集めながら、どうしたらこちらの存在を伝えられるのだろう、一番つらいときに力になれなければ意味がないじゃないか、とそんなことばかり考えていた。
だけど、「私たちのあいだには二十九年と幾月かけて育んできた絶対の信頼がある。いつか必ず届くから。それまではそっとそばにいよう」------そんなふうに思えるようになりました。
なんだか私が励まされてしまったな。本当にありがとう。

【あとがき】
「そんなことに悩むの?」と首をかしげてしあう相談もたまにあります。
「二十二歳の娘に性体験があったことを知って衝撃を受けています。娘には結婚まで処女を守り、幸せになってほしいと小さな頃から願ってきました。それだけに暗闇に突き落とされたような思いです。ひとりでいると涙があふれ、彼女とどう接したらよいのかわかりません」
この相談を寄せたのは五十代の主婦ですが、結婚までバージンでいることに価値を見いだすのはこの世代が最後でしょうね。すでに三十代の私なんかは、この娘は成人してから交際相手と体験したということなのだから、なんの問題もないじゃないの(それどころか、ないほうが不自然)と思いますし。それに、結婚初夜にはじめて、なんてリスクが大きすぎると思いますけどね。セックスも貴重な経験のひとつだから、夫ひとりしか知らないというのはどうなんだろう。結婚するまではそのときそのときの「一番好きな人」と楽しめばいいと思うけどな。