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2003年05月21日(水) なくて七癖

休憩室でお茶を飲んでいると、仲良しの同僚がやってきた(会社で起こった話をするときはいつもこの書き出しだな。まるで休憩ばかりしているみたいだ)。
「ちょっと、これ見て」
彼女が自分の右目の横あたりを指差す。見ると一センチ長さの引っ掻いたような傷があり、うっすら血がにじんでいる。
「あら、どうしたの。タマちゃんの真似しちゃって」
「それがさあ」
なんでも、仕事をしていたらどこからか突然ボールペンが飛んできて、ペン先が彼女のこめかみに命中したのだという。
床に落ちたそれを拾いあげ、「なぜこんなものが」と呆然としていると、隣席から「すみません」の声。その女の子が親指とひとさし指の上でくるくると回していたものがあらぬ方向に飛んでしまったのだ。
「信じられへん、もうちょっとで目に刺さるとこやってんで」
話を聞きながら、思わずぎゅっと目をつぶってしまった。私はなにかが自分めがけて飛んでくるシーンを想像するのが苦手なのだ。テレビのCMで野球のボールなどが画面のこちらに向かって飛んでくるようなのを見かけるが、あれを直視することができない。モビットのCM(桃井かおりと竹中直人が卓球をしているやつ)もいつも顔を背けてしまう。「私、尖端恐怖症で……」という人がたまにいるが、私のこれも似たようなものかもしれない。
そんなわけで、彼女の話を聞くまでもなく、私はこのエンピツ回しが嫌いである。視界の端で始終やられていると気が散ってしかたがないし、いつ失敗して飛んでくるかと思うとどきどきしてしまうのだ。
しかしながら、それが癖になっている人は驚くほど多い。学生の頃に大流行し、その技をマスターしようとみなこぞって練習したものだが、おとなになっても手持ち無沙汰なときにはついやってしまうらしい。
私はいまテレコミュニケーターという仕事をしているのだが、百人ほどいるフロアを観察したところ、実に五人にひとりがペンを回しながら客と電話で話していた。

個性が強く、万人には受け入れられないであろうと思われるものに対して、私たちは「あの人はちょっと癖があるね」とか「癖のある味」という表現をする。
辞書で調べても「かたよった嗜好、習慣」とあるし、やはり癖には好ましいものではないというニュアンスがあるようだ。たしかに誰かのそれを思い浮かべたとき、「ないよりあったほうがいい」と思うものはひとつもない気がする。
人のことをあれこれ言うのは気がひけるのであるが、友人に「まあ、人それぞれだしね」が口癖なのがいる。どんな話をしても、最後はそれ。「ま、いいんじゃないの、人それぞれで」と締めくくられてしまうので、そのたび私はがっくりくる。
人それぞれ、そう、たしかに人それぞれ。でも、それほど「それを言っちゃあおしまいよ」な言葉はない。彼女に悪気がないのはわかっていても、そのリアクションには萎える。
というわけで、先日彼女に「それを言ったら話が終わってしまってつまらない」と抗議したところ、思わぬ反撃を食らった。
「でも小町もあるやん、口癖」
えっ。なくて七癖、やっぱり私にもあるのか。
「街歩いてたら、しょっちゅう言うやん。『あ、漫画喫茶!』『あそこにネットカフェできてる!』って。どんなしょぼい看板でも目ざとく見つけて、ぜったい反応するよね」
あいたたた。
でもそれは口癖じゃなくて、三度の飯よりネットが好きな人間の悲しい性なのよと言いかけて、口をつぐむ。それを知られるほうがよっぽどみっともない。
人のことをああだこうだ言うのは控えよう……というのは無理だから、せめて小さめの声でということにしよう。

【あとがき】
彼女の言うとおりですね。最近多いじゃないですか、街に漫画喫茶とかネットカフェとか。歩いてると、「あっ、ここにもある、あそこにもある」ってついつい目が行っちゃって。帰省や旅行でしばらくネットが「キレた」状態になると、ますますその症状はひどくなる。ネット中毒とはうまく言ったものだなと思います。