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2003年04月21日(月) 見せたくない理由

「子どもに見せたくない番組、トップは『クレヨンしんちゃん』」
新聞でこの記事をご覧になった方も多いだろう。日本PTA全国協議会が小学五年生と中学二年生の保護者を対象に行った、テレビ番組に関する調査の結果である。
理由は「言葉が乱暴」「内容がばかばかしい」というもの。この他、「見せたくない」の上位に挙がっていたのは『ロンドンハーツ』と『ガチンコ!』だった。
これを読みながら、「いつの時代にもこうして親に嫌われる番組というのはあるんだなあ」と懐かしさのようなものが湧いてきた。
子どもの頃、私と妹が見ていると母がいい顔をしなかった番組がいくつかあった。
ひとつは、ザ・ドリフターズの『8時だヨ!全員集合』。ひげダンスや「カ〜ラ〜ス〜なぜ鳴くの〜」の替え歌、「淳子、しあわせ」。彼らのギャグはいまでもよく覚えている。泣けてくるほどベタベタで、オープニングの「オイーッス!」(これに観客が元気よく応えると、いかりや長介がとたんに声をひそめ、「シィーッ、静かに!ここは……」とやる)も、コントの中でたらいが落っこちてくるのもお決まりのパターンだ。それでも毎回、私たちはおなかを抱えて笑ったものである。
しかし、母はそういった知性のちの字も感じられないギャグと、パイを顔面にぶつけたり料理の並んだちゃぶ台をひっくり返したりといった物を粗末に扱うコントが嫌いだったようだ。
そしてもうひとつ、母が好きでなかったのが『ドラえもん』。『サザエさん』と並び、二大国民的漫画と称されるそれをどうして?と言われそうだが、その訳はあのテーマソングに集約されている。

こんなこといいな できたらいいな
あんなゆめこんなゆめ いっぱいあるけど  
みんなみんなみんな かなえてくれる
ふしぎなポッケで かなえてくれる


のび太には自分の夢を叶えるために頑張るという姿勢がまるでない。テストの前になるとドラえもんに泣きつき、「しょうがないなあ、のび太くんは。今回だけだよ……パパパパーン!!」と暗記パンだのコンピューターペンシルだのを出してきてくれるのを期待する。
四次元ポケットに頼ってばかりでちっとも成長しないのび太とそれをどこまでも助けてやるドラえもん。彼らの関係は友達というより、アカンタレの子どもと過保護な親だ。
「『ドラえもん』はそれだけではない。冒険あり友情あり教訓あり、子どもたちの想像力をかきたてるいろんな要素が描かれている」
とおっしゃる向きもあるだろう。
しかし、子どもにとってもっともわかりやすくもっとも印象に残るのはやはり、あの漫画の根底にある「のび太が努力のプロセスなしに、ひみつ道具によって希望を叶える」という構図ではないだろうか。
もしあの頃テレビで放送されていたのが、同じ藤子アニメでも『キテレツ大百科』(発明好きの少年が友情と努力で、相棒のカラクリ人形コロ助をさまざまなトラブルから救う)であったなら、母の反応はまた違ったものになっていただろう。
ついでに二番も聴いてみよう。

しゅくだいとうばん しけんにおつかい 
あんなことこんなこと たいへんだけど 
みんなみんなみんな たすけてくれる 
べんりなどうぐで たすけてくれる


全国の小学生を洗脳したと言ってもよいほどのカリスマ漫画の歌詞がこれというのには、ちょっと怖いものを感じないか。
テレビゲームが子どもの精神の発育に与える影響はよく取り沙汰されるが、漫画と子どものあいだにも相当密接な関係があるような気がする。

冒頭の調査結果に頷く。私も以前から、『クレヨンしんちゃん』と『ちびまる子ちゃん』は子どもにすすんで見せたい番組ではないなと思っていた。
その怠け者ぶりや人を食ったようなリアクションには、「子どもがそんなに冷めててどうする」「親になめた口を利くんじゃない」とつい言いたくなってしまう。可愛げというものがまるでない。回答した親たちはしんちゃんの言葉遣いがよくないから有害とみなしているというより、こういう子どもに育ってほしくないという思いが「見せたくない」につながっているのではないだろうか。
時代が変わっても、『サザエさん』がお茶の間で愛され続ける理由。それは「子どもに見せるとまずいものは出てこない」というストーリーへの絶対的な信頼だけではないと思う。
勉強は苦手だけれど、学校は好き。放課後はランドセルを放り出し、遊びに飛び出して行く。親に対して適度な恐れと尊敬の念を持ち、叱られるとしゅんとする……。間違ってもカツオが舟を呼び捨てにしたり、ワカメが波平を「あんた」呼ばわりしたりはしない。
このふたりの“典型的な子どもらしさ”に現代の親たちは憧憬を持っているからではないだろうか。

ところで、今日のドラえもんの話。もしかしたら「いつか読んだことがあるような」と首をひねられた方がいらっしゃるかもしれない。
ありがとうございます。そんなあなたは一年以上ここをお読みくださっているロイヤルカスタマーでございます。
さてはリサイクルしたなって?失礼ね、リバイバルと言ってちょうだい。
みなさまに支えられ、『われ思ふ ゆえに・・・』はもうすぐ二歳半になります。これからも価値観の違いを楽しむような気持ちでご愛顧いただけますと、大変うれしく思います。

【あとがき】
わが家では『ドラえもん』は見るなとは言われませんでしたが、『じゃりン子チエ』はダメでした。チエちゃんはいい子だけど、父親を「テツ」と呼び捨てにしたり、「アホーな親父」呼ばわりする。また、母親が家出したり父親が喧嘩とバクチに明け暮れたりで、チエがその尻拭いに奔走する……というストーリーも、子どもに見せるものとしては好ましくないと判断したのでしょう。そういう考えの親に育てられたからでしょうか。おとなになった私はしんちゃんが母を「みさえ」と呼び捨てにしたり、まる子が父を「あんた」呼ばわりするのが好きではありません。