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2003年04月16日(水) 「おかえり」

好きなあいさつがある。
さりげなく「ありがとう」が言える人は素敵だし、「お疲れさま」を聞くと思わず笑顔がこぼれる。「おやすみ」に幸せを噛みしめる夜もある。でも、私がもらって一番うれしいのはなんといっても「おかえり」だ。
京都で大学生をしていたときの話。夏休みにサークルの合宿に参加し、一週間ぶりに家に帰ってきたところ、荷物を置いたとたん電話が鳴った。すごいタイミングだと思いながら受話器を取ると、同じゼミの男の子からだった。
「おまえなー、いままでどこ行っとってん!」
開口一番、このセリフ。いったい何なのといぶかりながら九州に行っていたことを伝えると、「それならそうと言っていけよ」とめずらしくいらいらした様子。
彼とはただの友達である。「どうしてあなたに『いついつまでどこそこに行ってきます』なんて言って出かけなきゃならないのよ」と言い返しそうになったが、それはあまりにも可愛げがないなとすんでのところで口をつぐんだ。
「夜かけてもぜんぜんつかまらんし、どこをフラフラしてんねんて思っとった」
「実家に帰ってるんかも?とは思わなかったわけ」
「自分、この夏は帰省せんて言うとったやん」
「そうだったっけ」
おや、なんだか風向きがおかしいぞと思ったら。
「心配しててんぞ。……おかえり」
電話を切った後、留守電に残っていた十数件の「ツー・ツー」に気づく。ああ、彼はきっとこのひとことが言いたかったんだなあとほろり。
彼との“その後”はここに書くまでもない。

「あんた、おったんかいな!」
電話の向こうからいきなり怒号が飛び込んできた。学生時代の友人だ。「おったら悪いんかー」と思わず言いたくなったが、その慌てぶりが尋常ではない。何事かと思ったら。
「ぜんぜん連絡取れへんから、もしかして誘拐でもされたんとちゃうかって思ってたんやで」
一週間ほど前から何通かメールが届いていたが、返事を書いていなかった。いつも即レスの私からちっとも返ってこないので、何かあったのではと心配してくれていたのだ。そういえば、最新のメールは「おーい、生きてる?」だったっけ……。
「実家にでも帰っとったん?」
「う、うん。まあそんなとこ」
このところテンションが低くて返事を書く気になれなかったなんて、とても言えない。
「あ、そ。ならええねんけど。とりあえず、おかえり」
私は心の中でごめんなさいとつぶやいた。
こんなふうに「おかえり」を言ってもらえる機会はいまの私の生活にはほとんどない。夫が私より先に帰っていることもまずないし。
しかし旅行から帰ってきたときだけは留守電にメッセージが入っていたりメールが届いていたりということがある。
「おかえりなさい」
その声や文字は、ある人に私がいつもの場所にいないことを寂しく思った瞬間があったことの証。それを見つけるたび、私はちょっぴり胸が熱くなる。
もう六年も前になる。アメリカから帰国する私を迎えに、仕事の合間を縫って関空まで来てくれた人がいた。到着口から出てきた私を見つけ、転がるように走ってきたあの姿を私はいまも忘れない。あれが私の人生史上最高の「おかえり」だ。
まあ、彼は「覚えてない」ととぼけるだろうけれど……。ねえ、夫よ?

【あとがき】
「おかえり」の次に好きなのは「おやすみ」ですね。女友達に言われても心がほんわかするぐらいだから、好きな人から言われた日には受話器を抱きしめたりしてましたね。あの頃は電話(もちろん留守電)が恋を生んだり手助けしたりしてくれていました。今はメールだろうから、初めて電話をかけるときのドキドキ(もちろん家の電話だ、携帯電話なんてものはなかった)、話が続かなかったらどうしよう……なんて不安感は軽減されているだろうけど、あれはあれでよかった。