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2003年03月17日(月) 男は「そういう生き物」なのか(前編)

私には物心ならぬ、恋心ついた頃から抱きつづけてきた疑問がある。この年になっても明快な答えを得られずにいるそれは、巷にはびこる「男は浮気をする生き物である」という大前提についてだ。
「こればっかりはしかたがない」といった諦念や開き直りの意を込めて、人はしばしばこれを口にする。あたかも如何ともしがたいことであるかのように。あまりに耳目に触れる機会が多いため、「これはもはや社会通念とさえ呼べるのではないか」とドキリとしてしまうほどである。
が、私がとりわけいぶかしく思うのは、女性の口からそれが語られるときだ。たとえば、作家の佐藤愛子さんはエッセイの中でこう言っている。
「男が浮気するのは、ネコがネズミを追いかけるのと同じ。ネズミがそこにいるから追う、これはもう習性である。男の浮気を防止しようなどと思ったときから、女の不幸ははじまるのだ」
「男は浮気をするものである」----これは女にとって、「ハイ、そうですか」とすんなり受け入れられるような事柄ではないはずだ。なぜなら、たとえ嫌々渋々にせよ、そういうものだと認識するということは、同時に「あきらめる」ことでもあるからだ。
なのに、どうして一部の女性たちはこんなにもあっさり、それを「男と女の生理の違い」として片づけてしまえるのだろう。私は昔からこれが不思議で不思議でしかたがなかった。
それでも、佐藤さんのように人の世の酸いも甘いも噛みわけてきた人の口から語られたときには、私も一度ぐらいはふーむと唸ってみないこともない。
しかしながら、自分とたいして年の違わない女性に「男ってそういう生き物だからね」なんてさらりと言われると、驚愕するとともに痛々しいものを感じずにはいられない。「この年でそんな悟りの境地を開くほどの艱難辛苦を味わってきたのかしら」と、つい勘ぐりたくなってしまう。

あらためて確認しておこう。私が今日これから書きたいのは、浮気の是非についてではない。男のみならず、苦悩させられる側である女まで一緒になって、男の浮気はしかたがないものと容認している、あきらめている。私が解せないのはそこだ。
「何がそう彼女たちを聞きわけよくさせるのか」ということ、そして「男は本当にそういう生き物なのか」ということなのだ。

【あとがき】
前回の日記で「おぬしは女心がわかっとらん!」なんてことを書いたばかりだけれど、私も男性の生理についてはこの年になってもさっぱりわかりません。理解する気がないのではなく、私には想像がつかないのです。とりあえず明日の更新をお楽しみに。