2002年12月23日(月) |
私の常識、巷の非常識 |
天皇誕生日の梅田の街はクリスマスムード一色。人でごった返す紀伊國屋書店で立ち読みをしていた私は、もう少しで驚嘆の声をあげてしまうところだった。
読んでいたのは阿川佐和子さんのエッセイ。友人たちと「何日に一度ブラジャーを取り替えるか」という話になったとき、彼女が「三週間に一度」と答えた、というくだりにである。
「ぎゃーっ、汚い」と叫んだ友人たちに、彼女は平然と言い返している。
「パンティじゃあるまいし、そんなに頻繁に取り替える必要があるだろうか。私は十日間程度の旅行にも替えを持っていったことはない」
読み進めて、私はさらに驚いた。阿川さんの答えにのけぞったくらいだから、友人たちはもちろん毎日取り替えているのだろうと思いきや、彼女たちも三、四日に一度というではないか。
信じられない、どうして毎日着替えないのか。他の下着となにが違うというのだ。三日も三週間も私に言わせれば五十歩百歩である。
こんなに驚いたのは、友人の多くが冬のあいだはワキのお手入れをしていないことを知ったとき以来である。
「じゃあ急遽彼とそういう雰囲気になったときはどうするの?」
「そのときはワキ毛ごと愛してもらう」
考えられない、ありえない。それは私を世界一貞操堅固な女にするだろう。
しかし、私の常識は巷の常識ではなかったらしい。
ところで常識といえば、派遣社員としていくつもの会社にお世話になって気がついたのが、会社ごとに「常識」が存在すること。当たり前に行われていること、許されていることと言い換えてもいい。
新卒で入社した会社に七年間勤めたが、それだけの期間ひとつの会社に浸かっているうちに、いつしかそこの常識があたかも世間の常識であるかのような錯覚を身につけてしまったらしい。そこをデフォルトとし、行く先々で「ここが違う、あそこが変」と比較している私がいるのだ。
さすがに最近はそういうことはなくなったが、派遣としてまだ日が浅かった頃は始終“間違い探し”をしていたような気がする。
たとえば、私がもっとも驚いたのは子どもの写真が机に堂々と飾られていることであった。
「へえ、ここはこういうものを仕事場に飾るのオッケーなんだ」
“デフォルト”では見たことのない風景だった。家中に家族や夫婦の写真立てを飾る外国人とは違う。けじめを重んじ、公に私を持ち込むことを良しとしない日本人の仕事場に子どもの写真。意外だった。
また、多くの社員が会社から与えられた携帯の着信音を着メロに設定していることにも驚いた。仕事中にあちこちで懐かしのアニメソングや流行歌、いかにもウケを狙った効果音が鳴り響くのは不思議な感じがした。
「ここに遊びに来てるのか!」といつか誰かが怒鳴るのではと思っていたが、そんなことは一度もなかった。
私はこの程度の「遊び」が許される雰囲気の会社は嫌いではない。業務に支障が出るほど子どもの写真を眺める人はいないし、着メロも営業先でうっかり鳴らさないよう注意するなら、このくらいの「私」の持ち込みは目くじら立てなくてもいいかなと思っている。
しかし話が矛盾するようであるが、私自身は会社の携帯を着メロにしたり、パソコンのマウスポインタをアニメに設定したり、デスクトップでみかん星人をうろうろさせたりすることはない。他の人がそれをするのはかまわない。でも、自分はそういうところはシャンとしていたいという思いがある。
そして、わが夫の携帯の着信音もごく普通の「ピリリリリ」である。会社の机に子どもの写真を飾ることもないだろう。
公が私を侵食することはしばしばあるが、公に私を持ち込むことはない。私は彼のそういうところを評価している。
毎週月曜の朝のやりとり。
「ハンカチは?」
「持った」
「財布は?」
「持った」
「妻の写真は?」
「……いらない」
しかし、私は知っている。彼が手帳に私の写真を何枚かしのばせてあることを。
出張先でそれを眺めてほしいとは思わないが、それがはさまれているかぎり、私はお気楽でいてもいいような気がしている。
愛妻家も子煩悩も、家に帰ってからやってくれればそれでいい、私は。
【あとがき】 まあ、夫は家に帰っても愛妻家ではありませんけどね。 ところで、どうしてブラジャーだけ特別なの。汗をかくのはどこも一緒でしょ。他の下着に比べてお高いから?毎日着替えなくていいなんて二十年間考えたこともなかった。不思議でしょうがない。誰か教えて。 |