あひるの日記

2005年01月09日(日) 心療内科受診への経緯

新しい職場は、自宅から約2時間(!)という場所にあったのだが、フレックス制だったのでそんなに苦労はしなかったと思う。
ちなみに、あひるの自宅は中央線なのだが、帰りは東京駅から座って(眠って)帰れるので結構気に入っていた。

比較的早く帰れる日は、有楽町や銀座でおいしいものを食べて酒を飲み、帰りは気絶したようにして家に帰った(−−;
もちろん、仕事はそれなりに忙しかったし覚えることもあったが、ポチのいる職場より格段に楽だし、なによりも精神的に開放された!というが一番大きかったのだろう。

仕事は、普段は会社のデスクワークをするのだが、月に二度はかならず出張にいく機会があった。場所は沖縄から北海道までとバラエティに富んでおり、たまに過密スケジュールため、作業用の機材が送付に間に合わないときは、スーツ姿の両肩にガッチリとパソコンや周辺機器をぶらさげて、フラフラしながら現地に向かった。

現地では、客先の担当者さんとミーティングの後は有無をいわさず拉致られてご当地のおいしい飲み屋さんに連行されたり(@@、飛行機での移動の後などはとても疲れたが、それ以上にとても楽しかった。


ちなみにこの仕事場にいるとき、あひるはたまたま身体が弱っていたらしく、みんなで食べた牡蠣なべになぜかあひるにだけあたってしまい、一晩中上からも下からも出しまくった際にも、その次の日にあひる担当のサービスがあったため、蒼白なカオをして現地に向かい、上からも下からも横からも冷風の止むことのないマシンルームに篭ったのは、いまではいい思い出だ(当時は滝汗)

ま、↑の件は

「体調が悪くて当日担当替えてください」

なんて、あまりにも恐ろしくて口にできなかった。
当時の上司はとにかく怖くて、そしてカッコよくて(オイ)。
・・・・・・とまあ、そういう気持ちのほうが、上回っていたのか体力があったということもあり、そして客先が近県だったというラッキーも重なり、なんとかその場を乗り切った。

しかし、その怖くてカッコいい上司なのだが、ものすご〜く冷たいくて有名な方だった。クールを通り越してまさにコールド。ブリザードの世界だ。
その彼が、牡蠣の苦しみをこらえ、たびたびトイレに立ってはひたすらヘンな汗を流していたあひるにさすがに気づいたらしく、



「キミ・・・・・、コレ(現地での作業)が終わったら帰っていいよ」


「。。。。。。。。。。。。。Σ(°□°lll」




と、その場にいたチーム全員がフリーズしたほどだ。
説明しますと、現地でのサービスが終了いたしますと、飛行機を使ったりする遠方の客先ではさすがに次の日だが、今回あひるが行ったような近県でのサービスは、作業のあと会社に戻りデータを持ち替えて、分析用のツールにかけるという、

「担当者だけ」

の、サービス当日の一番悲しいお仕事が待っている。


ちなみにほかのチームメンバーは、7時間強しかもほぼ休憩なしの深夜作業を終えて、眠い目をこすりながらも通勤とは逆流しながらまっすぐに自宅の布団に直行できるのだ。


その!!(力説)部署内では一番イヤ〜ンな仕事をしないで帰っていいよん、なんていう、とんでもなくやさしいことばをかけてくださったのだ。





メイクミラクル






それからわたしは、その職場で奇跡を呼んだオンナとして一瞬にして有名人♪(←ばか)となったのだが。


この時期に仕事仲間だった方たちは、ほんとうにいい友人となり、男性はもちろん、フロアでは離れたところにいた事務の女性たちはいまでも連絡を取り合って、仕事の帰りは理由をつけて飲み食いをし、そしてポチとの結婚式にも参列してくれた大切な友人たちだ。


まあ、ほかに話をあげるとキリがないですが、上記のように悶絶しながらも、まわりの環境も良好で、仕事もさまざまな事件があったがわたしも気に入っていた。おっかない上司の評価も、


ま、いいんじゃないの。


なんていう評価もいただいた。




なのに。




それなのに。





その前後からわたしの不眠はひどくなり、ポチがたとえその場にいなくてもたびたび発作に襲われるようになってしまったのだ。


仕事中まわりに大声を出すヒトや、大きな音を出すヒトもいない。



















。。。。。。。。。。。。どうして?


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