先ぱいのこと - 1993年12月03日(金) きのうともことのんで、ねたはいーけど やたらのどいたくて、せきもひどい。 けど惰性のたバコがやめれないでパカパカ吸って ガラガラ声にして自分いじめて面白がったりしていた。 12じころおきて、テキに2じ半ころいった。 みっちゃんと図書室で「版画のレポートかこう」といって行ったはいいけど やる気ないし、このごろマイナスなので 「イラストレーション」みて「あー、基本は絵よねぇ」なんて 自分の気持ちむりやりたてなおそうとしていた。 そしてバイトへ。 先ぱいは人がいいのであちこちの人から残念がられている。 酒屋さんたちからも「いえなかったのかい?(とみたさんに対しての 色々なこと)」といわれて泣いてしまった話や、 そこから彼女のお母さんの話しもでたり。 妹さんが今静修受験のためこっちに来ていて、とよみに来たり。 おけいちゃんもなんかしらないけど(このあいだもきたんだよ) バイトに行く途中だかによっていったり。(なんがぐっちゃぐちゃ) いろんな人にやさしくされて「また遊びにおいでよ」なんて いわれるとよけいつらいと言っていた。 すべてふっきって捨てきって行きたかったらしいけど 人がらがいいのでまわりがね、そうさせないでしょ。 妹さんは「まだ平気でお母さんの話はできない」って言ってたことや、 こういう時お母さんがいたら言うか、の話や とみたさんは正直にぶつかってきてくれてすごいって言えるようになった話や。 この何日かで考え方がころころかわるといっていた。 へんなつっぱたとことかがとれていくという意味での変化。 わたしといろいろ話せたことも、よかったって。 同じ職場で立場わかってるような人と話せた、という状態は 息をぬくのに、いいって。 まうちゃんと「ありがたいねぇ」っていってたんだよといわれたり。 わたしもいろいろ考えこんだりもしたけど、結果的に こういうふうに話せて、「ねばり勝ちってあるのね!」といった心境。 かろちんさんの新装開店の写真とってきた話や こんど時間あるときつれてってあげるとか、 かろちんさんのお母さんは大きい目標で、そういう「夢」をおいかけている人が 多い札幌にいるんだという話や。 お客さんあまりこなかったからいろいろ話してた。 のんちが買った女性誌のしんりテスト(?)や占いのページであそんだりしながら 「あー、こういうのって、もう、ないんだよなぁ」なんて思ってた。 どういう男性にひかれるかとか「あなたの性格」の欄が やけにあたっていて笑ったり。 そこから発展してクリスマスをむりやりだれかと過ごすのは なんかやだよねとか、 去年は小松さんたちと5人くらいあつまって えんえんUNOやって、バツゲームつけてあそんだという話しとかしてた。 おかしくてうけながら、あそび方はちがうよなぁとか こういうのもこれでおわりかぁとか、少し冷めた(?)自分もいた。 それと星の王子様のカセットきかせてもらった。 2人で「なんかフランス語っておちつくよね」といった。 おわる少し前に寺田さんがきた。やめるって言わなきゃねと言っていた。 かえりぎわに、寺田さんにここやめるってこと言いづらいなって 話しをしてて、けっこうふりしぼった目で 「言いづらいわけは彼をじつは好きなんだよ」と言った。 わたしは「やっと言ってくれたね。言わないかと思ってた」といった。 すごいがんばって言ってくれたよーなのを、わたしあまりに あっさりかえしぎた気がして 「あ、あまりになんもおどろきもしないからなんか気ぬけた? (のようなイミのこと)」をいったら 「なんでみんなわかってんのー」といって 机にふせながら「自己嫌悪」なんていっていて妙にかわいかった。 寺田さんに言っちゃえば?と言ったけど、 彼女は寺田さんから好きな人についての相談をうけているそうで、 「ふびんだね」としかいえなかった。 その相談うけてから3kgやせたとか、 一年半くらいもずっと好きだったこととか、 かなり精神的にガタがきていたらしくて、ほんとにつらかったね、といった感じ。 それにとみたさんのこともあいまって、11月のはじめの日記に 「私そろそろだめかもしれない」ってかいたんだって。 けっこう、きつかったよね。 私たちパリに行ってたし。 まぁ「やめる宣言」もむりないというか。 あまりにかわいそうで。 わたしの胸もとても痛んだ。 かえり道いっしょに歩きながら寺田さんちの灯がついてないとか言ってたし、 けっこう胸を痛ませてたんだなぁと思った。 彼女は彼の家にバイトのあとに寄るということになったので、 「あー、どうしよ。胃がひっくりかえる」といったりとてもキツそうにしていた。 いっしょに帰りながらまた今後のことが不安だとか ちょこちょこ話しながらも、がんばっていた。 ...
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