うららか雑記帳
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さくらさんが旅立ってから半年。 冬から春へと移ろいつつあった季節が、今では夏から秋へと色を変えようとしています。
寂しくてまだめそめそしてしまうし、実家に行けば、あの子がよく寝転がっていた椅子の上やテーブルの陰なんかに目が吸い寄せられてしまいます。 もっと一緒にいたかった、せがまれるままに抱っこしてあげればよかった、たくさん写真を、動画を撮っておくべきだった……。 汲めども尽きぬ後悔とはこのことか、というくらい物思いに浸かって過ごす日々です。
もしかしたら、たかが猫でしょと思う人もいるかもしれません。 あるいは、寂しいなら新しい子を迎えればいいじゃん、とか。 私はかなり頑なな気質なんでしょうね。申し訳ないことに、ことこの類の問題は、慰めの言葉をかけてもらっても響いてこない──どころか逆効果なことが多いです。 「17年近くも生きたなら寿命だよ」とか言われると即座に胸が詰まって号泣しそうになりますからね。
今まで9匹の猫と生活を共にして、それぞれ先立たれました。 この喪失感を周りの人に垂れ流しても困惑させてしまうだけだと、今ではよく理解しているつもりです。 無遠慮に心情に踏み込まれるのも安易に慰めらるのも、どちらにしても嫌なのだから、だったら拙そうな相手には最初から言わないほうがマシってものでしょう。 小学校の頃、友達から尋ねられた言葉が今でも忘れられません。 「猫が死んだとき悲しかった?」って。 愕然としましたよ。 うちにしょっちゅう遊びにきてて名前を知っているはずなのに『猫』って。 しかもこれ、当時の飼い猫が急逝した翌日ですからね。悲しんでいない可能性があるとでも思ったのかな? 猫を家族にしたことがない人にはこの気持ちが分からないんだ、なんて拗ねたように憤ったものです。
こういう人ばっかりじゃないですけどね、もちろん。
それにしても、さくらさん。 ゆきさんが逝ってから半年足らずで追いかけてっちゃった。 姉弟仲そんなによかったっけ、あんたたち?
そりゃあ確かに猫だし雑種だし類を見ないお利口さんでもなかったけれど、私たちにとっては代わりのない存在でした。 私が名前をつけた、だいじな、いい子たち。
他の猫を見て「かわいいな」とは思うけど、それだけ。 もう動物は飼わないと言う母。 私もそれでいいと思っています。
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