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- 2005年10月10日(月)
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- 創作短編『わすれ薬』 [12 逡巡]〜[最終回]
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注…【1】〜【11】をお読みでない方は、まずそちらからどうぞ。
10月3日 『わすれ薬』 [1 電話]・[2 来訪] 10月4日 『わすれ薬』 [3 服用室]・[4 再会] 10月6日 『わすれ薬』 [5 ユージ]・[6 記憶]・[7 服用] 10月8日 『わすれ薬』 [8 拒絶]・[9 使命] 10月9日 『わすれ薬』 [10 独白]〜[11 記憶を預ける]
《 前回まで【1】〜【11】のあらすじ》 服用すると望みの記憶だけを忘れられるという『わすれ薬』を処方するサエグサという男の家へ訪れた タカシナ・ミキは、薬の服用室で見せられた自分の記憶の中で、元カレのユージに逢った。ミキは ユージに想いを奪われそうになった瞬間、薬を飲み込んだ。その後、ミキは拒絶反応を起こして取り乱した。 薬でユージの記憶が消滅することを恐れて暴れ出した彼女を、サエグサが落ち着かせた。 拒絶反応で薬が効かなかった事を説明した後、サエグサはミキに、今の彼氏と元カレの話をするように促した。 ミキはサエグサに泣きながら独白をした後に、サエグサに伝えた。今のままでは今の彼氏「コウスケ」の元へ 行けないこと、かといって、わすれ薬を飲んで元カレ「ユージ」の記憶を消す事もできないと。 サエグサは「わすれ薬」は「記憶を消す薬」でなく、ユージの記憶を一時的にサエグサに預けることだと説明した。 そして、薬を服用してユージを一時的に忘れ、コウスケの元へ進んだ方がいいとミキに話した。
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【12】 「 逡巡 」
「……そ、そんなこと、出来るの?」
「出来る。 だって消えるのではないから。あくまで『忘れる』ということは、 その記憶に『アクセスしにくく』なるようにするだけなんだ。 そもそも、それが、『わすれる』って意味でしょ?」
「・・・・」
「でも、薬を飲めば、あなたは僕に、何を預けたかは分かりません。 飲んだ後、意識が戻った時には、また私とは会うので、サエグサという男に 何かを預けたということは覚えている。でも、あなたは、あなたの中にいた ユージ君の存在には気づかないはずです。…あるキーワードを見つけない限り…」
「キーワードって…」
「記憶を完璧に消すのではなく、奥底に眠らせるだけと云ったよね?。 それはつまり、シナプスのつながりを極めて少なくするという意味なんです。 全てのシナプスを切り離したら、その記憶はあなたの脳内の彼方へ消える。 だから1〜2本だけ残しておく。この1〜2本が何であるか、それを私は 決めることは出来ないが、よっぽどのことでない限り、アクセスできないはず。」
「それじゃ、再び思い出すってことができないの?」
「ミキさん、自由に思い出したいと思っていたら、それは甘えだ。 それはそもそも、忘れたことになっていない。私に記憶を預けたならば、 基本的に、あなた自身ではどうにもできないと思ってほしい。
でもね、ミキさん、あなたはこれで私を知ることになる。あなたがこれからの人生で、 何か困ったことがあったり、悩みや思わぬ不幸があったりして、 どうにもならなくなった時、まず、私の名を思い出してほしい。 そしてまた、私に会いにここに来ればいいんだ。私は必ずあなたを覚えている。 あなたと話して、私が必要だと思ったら、封印を解く。あくまで必要と思えばだ。」
「……ユージは消えない…のよね…?」
「消えない。格好よく云えば、封印するってことです。あなたが今、 コウスケさんではなく、はっきりとユージ君の元へ戻りたいと思っているなら、 私は、こういうことを薦めはしない。このままお引取りを願うのみだ。 でもそうじゃない。コウスケさんとの結婚という前へ進む道がありながら、 決して切り離せない記憶に縛られて、どこにも動けなくなっている。 だから、必要なものを切り離さずに、前へ進めるようにする手段というわけです。 わかるね?、決して「消す」という強引な手段を薦めているわけではないんですよ。」
涙を拭きながら、ミキはわずかに頷く。
「ちょっと待っててくれるかな…」
そう云って、サエグサは立ち上がり、隣の部屋へと向かった。
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ミキはまだ迷っていた。
理屈では何度も何度も納得していた。『わすれ薬』なるものが、決して 自分からユージの記憶を消し去るものではないことも、分かった。 コウスケの元へ行かなければ、という意志も、変わりはなかった。 ただ、飲んだ後の自分がどうなるのか、想像が及ばないことの怖さ、
そして、なんといっても、 万が一、ユージと遭った時、記憶のない自分を見てユージがどう思うのか…… …それを思うと、痛たまれない気持ちになった。 しかし、一方で、それは考えてはいけないことだとも気づいていた。
今、まだ記憶があるうちに、伝えておきたい…
ユージに伝えなきゃいけないことがある………ミキは思い始めた…。
サエグサが服用室へと戻ってきた。 手には水の入ったグラスと、半透明の小さな袋を持っている。
「これが、本当の『わすれ薬』です。」
ミキがサエグサに目を向けた。
「申し訳ないが、事前カウンセリングが出来なかった君には、 危険すぎて、これをいきなり処方することは出来なかった。
君が先程飲んだのは『記憶誘導剤』といって、あなたが一番強く想っている 記憶…つまりターゲットとなる記憶を確実に記録させる薬だったんだ。 『自白剤』というと聞こえは悪いが、似たようなものだ。ま〜どちらにしても、 認可が下りないどころか、違法な薬には違いないが、他の臓器への影響や 副作用などは、これまでの事例では出ていない。使い方さえ間違わなければ 充分に安全な薬だ。使い方さえ間違わなければね。」
半透明の袋の中に見える白い粉末をミキは眺めた。
「ミキさん、もう一度云います。私は薬の営業マンではありません。 もしそうであれば、こんなに同じ話を何度も何度も致しません。 私があなたにする話はセールストークではなくアドバイスです。 あなたはいつでも、ここを立ち去ることが出来ます。または、今日は中止して、 また後日来て頂いても構いません。もしくは、立ち去ったら二度と来なくても構いません。 どちらかというと、二度と来させないために、私は皆様に話をしているようなものです。
あなたが今日私と話して、何を想い、どう行動するかは、あなたの自由です。 あなたの中にいるユージ君と、あなたの傍に居るコウスケさんを、 あなた自身が適切に整理できて、しっかりと前へ進めれば、私はそれでいいのです。 薬を飲もうと飲まずとも、私はそれで使命を果たしているのです。
しかし、ミキさん、あなたは、今ここで意思表示をするべきでしょう。 ここで決断せずに、持ち帰ったたならば、おそらく、惰性でコウスケさんと結婚こそ するかもしれませんが、結婚後もユージ君の想いを整理できずに苦しむことでしょう。 仮に、ここで決めずに持ち帰って、自分自身で決断できるのであれば、 ここに来るよりもずっと前に、あなたは自分で決めていたはずです。 『わすれ薬』を必要としている時点で、あなたの症状は、自分自身で処理出来るレベルを、 とうに超えてしまっているのです。ここで、自分の意志をはっきりさせましょう。
ミキさん…………………、どうしますか?」
下を向いたまま、彼女の視線が右から左、上へと動いていた。 唇を動かし、頬の肉が微妙に揺れる。『もう泣くまい』と、 彼女の表情が必死に堪えていた。その様子を見ていたサエグサは、 罪悪感にも似た感情を抱き、あまりの刹那に、彼女の顔から思わず目をそらした。 『俺は非情だろうか…、でも彼女にとって、決して間違っていないはずだ…』 天井を仰ぎながら彼は自問自答していた。
「先生…」
サエグサは、ハッとして、ミキへ顔を戻した。
「私の……記憶を…預かって……」
ミキは小声で呟いた。
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【最終回】 「 決断 」
「わかりました……。ではここに承諾サインをお願いします。」
彼女は小さく頷き、震える手でサインをした。 その承諾書を受け取ったサエグサは、水の入ったグラスと 『わすれ薬』が入った半透明の袋を、彼女の右前に置いた。そして、 カルテが挟まっているファイルの中から、B4サイズの白い紙とペンを 取り出して、彼女の正面に置いた。ミキがサエグサの顔を見た。
「また、辛いでしょうが、ユージ君のことを思い出してください。 この紙に書くんです。先程話してくれたような、ユージ君への想いや、 伝えようと思ってて伝えられなかった事、何でも結構です。 ユージ君を想い、それを紙に綴ってください。文章になってなくても いいです。どんな形でも結構です。ただし自分の名は書かないように。」
「伝えたい…事…」
ミキは小さく呟いた。じっと白い紙を見つめると、静かにペンを持つ。 そして、一番最初に『ユージ』と書いて、そのまま筆先が動かなくなった。
サエグサは、その様子をじっと見ていたが、目をそらした。 彼女の憔悴しきった様子を、見ていられなくなっていた。
少し離れたところにある椅子に腰掛けて、煙草に灯を点ける。
三つの窓から差しこんでいる三本の光に絡めるように、ゆっくり煙を吐いた。 そして、今夜、彼女に語ったカウンセリング内容を、頭の中で咀嚼する。 彼女の言動、反応に対して、自分は適切に言葉を述べたのだろうか、 これから服用する薬が、的確な作用をもたらすように、彼女の精神状態を コントロールすることが出来ていただろうか……、サエグサは宙に今夜の やり取りを取り出して振り返った。
それから、テーブルの彼女を見た。
まだ、『ユージ』から、一文字も進んでいなかった。
「ミキさん…、大丈夫ですか?…」
椅子から降りて、再びテーブルの向かいに戻ると、サエグサは訊いた。 ミキは白い紙に貼付けていた瞳を、サエグサに向けて、声をこぼした。
「……先生…、あたし……やっぱり…」
サエグサは彼女の瞳を見た。乾いた瞳であった。彼女の瞳は、 ユージの記憶を取り出すことを再び拒絶し始めていると、彼は感じた。
彼は立ち上がった。迷っていた。 暫くの間、彼は立ち尽くした。この仕事を始めてから、 これほど迷いが生じた経験は初めてであった。
サエグサは、眼鏡を指で押し上げると、三つの窓がある側の壁面へ歩いていった。 薄暗い部屋の中、ミキは気づいていなかったが、そこには雨戸が締まっていた。
彼は、雨戸を開けた。
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時間の感覚を失っていた空間に、未明の青い光が差し込んだ。 空間も、時間も、そして自分自身も、全てが不確かに感じていたミキは、 ここに来て初めて、己が存在していることの確かさを再確認した。 質感を湛えた自然の光を感じながら、ミキは時間の検討をつけた。 『朝の4時か5時?…』
サッシュの外には、次第に明るさを帯びる群青の景色の中、 竹林が蒼く繁っていた。それは何とも荘厳な眺めであった。
サエグサは竹林を眺めながら、ポケットから紙を一枚取り出した。
「私がこれまで診てきた患者の方には、いろんな方がいらっしゃいました。 その中でも、ミキさん、あなたのような悩みを持ってる方って結構いましてね、 中には、今日のあなたが話した内容と、全く同じ事を話された方もいます。 その紙に何て書けばいいのか、思いつかないようでしたら、ちょっと参考に こちらを見てみますか?以前コチラで『わすれ薬』を服用された方のものです。 本当はいけないんですが、あなたは特別です。こんな感じで書けばいいんですよ。 何かイメージが湧くかもしれません。この方はかなりきっちりと書かれていますが、 もっと自由にイメージして、好きに書いた方がいいですね。」
サエグサが取り出した紙には、 何者かが書いたと思われる文章が、キレイに並んでいるのが見えた。 彼はその紙をミキの手元に置くと、再び話し始めた。
外を眺めていたミキは、紙が置かれたあたりに 顔だけをフラっと動かした。
「それは、今のあなたと同じように、薬を服用する前に書いてもらったものです。 その方は、つい先日いや…先日といっても、もう1ヶ月ぐらい前になりますか…。 あ、そういえば、ミキさんが昨晩にここに来た時に、少しお話ししましたね。
その患者さんは男性で、結婚を前に、前の彼女の記憶を忘れたいと云ってた方でして、 いやいや、こちらに来た時から、薬を服用するまで、全くあなたと同じでしたね。 その方も、カウンセリングなしにいきなり服用室に入られたんで、『記憶誘導剤』を 手渡したんです。その方が見た記憶は、相手の女性に指輪を渡した場面でした。 これも一緒ですね。ま〜こういう場面は皆さんよく思い浮かべるんですよ。 あなたは、そこで薬を飲んだわけですが、その方は、手を差し出した女性をそのまま 強く抱きしめたんです。抱いたまま男性は泣き出して動けなくなってしまったんです。
ま〜当然、記憶の中での話なんですが…この男性はあまりに取り乱して、 結局、自力で薬を飲めませんでした。本当に大変でしたよ〜この方は………」
竹林を眺めながら話していたサエグサは、話を切るとテーブルに戻った。 座り直しながら、話の続きを始めようとして正面を向くと、 ミキが口を押さえながら、サエグサが渡した紙をじっと見ていた。 大きく見開いた目からは、塞き止めようのない大粒の涙があふれていた。
「…………その方をなんとか落ち着けて、 カウンセリングを始められるようになるまで、結構時間がかかりました。 それから今日と同様に、想いを話していただいたのです。その男性の方も、 結婚相手を悲しませる行動をとるわけにはいかない、と云って、 薬を頼ろうとしたのですが、前の恋人への想いを押さえきれなかったようでした。
今日と異なるのは、その男性の方は、前の恋人の女性が結婚をすることを知って いたんです。さらに、その女性がその結婚相手の男性の方を大切に想っていることも 知っていました。どなたかご友人から耳に入っていたんでしょうね。その男性は、 自分勝手な想いで、その女性の幸せを壊す訳にはいかない、と云いました。 しかし、そこまで分かっているのにもかかわらず、その男性は、 元カノであるその女性への想いを自制できなかったんですね。
その男性の方の話を聞いて、私は今日と同じ結論に至りました。特に、元カノの女性が、 別の人と結婚する予定で、それをその男性が知っていたこと、…これが大きかったですね。 戻ってはいけない、前に進むには『薬』を飲むしかない、と話しました。しかし男性は 今日のあなたと同様に中々決意できなかったので、『私に記憶を預ける』という話をして、 やっとご納得いただき、服用の承諾をいただきました。 そして、その方が書かれた、服用前の最後の言葉がその紙というわけです。
それにしても、どうです?、似てないですかあなた?、その男性と。 これは冗談ですけど、遠い将来、もしかして、ここで逢うかもしれませんね。ま〜でも、 そういう事が無く、選んだ道でお幸せになっていただくことが、やっぱり一番だと思いますよ。」
サエグサが話し終えて正面を見ると、 テーブルの上の白い紙には、幾つもの染みが落ちていた。 インクを滲ませながら、ミキはその紙にコトバを書き始めていた。
目をこすり、鼻をすすり、必死で想いながら、 彼女は、彼に伝えたかったコトバを、書いた。
想いを書き終えたミキは、 薬を手にしながら、外を眺めた。
夜明け直前の、まばゆい陽光が、 部屋を光の粒で満たしていく……。
瞳に溜まった滴が、キラキラと光っている。
ミキは、静かに瞼を閉じながら
白い粉末を口に入れた。
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次回、10月11日【 エピローグ 】で終わりです。
051010 taichi
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