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- 2005年04月12日(火) ∨前の日記--∧次の日記
- 父の三回忌、母の安堵

2年前の4月11日、父は死んだ。




(→2003年04月25日(金) 生と死と・・・




亡くなる前日の朝に母からの報を受け、
俺は実家がある長野へ飛んだ。
昏睡状態の父に面会した後、父の荷物を取りに実家へ寄った。

狼狽する母を横目に、私は冷静なつもりだった。
しかしながら今振り返ると、実家に戻って
タオルやら何やらと荷物を探していたはずなのだが、
実は、この間の記憶が全く無い。


唯一鮮明に覚えているのが、1本のモクレンの木だった。



その木は清楚な白い花を
咲かせていたが、風にあおられて
激しく散っている最中であった。

木の下に散った白い花びらは、
逃げ惑う鳥が撒き散らした
羽のようにも見えた。

5階にある実家のベランダから
散って舞い落ちる白いものを
呆と眺めていたのだ。




**************




先日の4月9日の土曜日に、
父の三回忌で実家へ帰省した。

2年前と同じように5階から
モクレンの白い花が見えた。

2年前より2日早いからか、
花はしっかりと咲いていた。





*************************************




「三回忌」というのは、故人が亡くなってから2年目に行う。
亡くなった時が「1回忌」として数えて3回目ということ。

亡くなって1年目の昨年に行ったのが「1周忌」である。
本来、1周忌までには墓を用意して、法要の時に納骨となるのだが、
ウチの場合は経済的理由から墓を用意出来ず、納骨は出来なかった。

しかし、2年目の今年、母はやっと父の墓を用意した。

母と弟と私の3人で、三回忌法要を行う寺へ行くと、
そこには立派な父の墓が建てられていた。(寺に隣接する土地にお墓がある)



母はとても感慨深げであった。



****************************



思えばこの2年、兄の私は
父の墓の事で母から何度も相談の電話を受けた。




「○○屋というところの墓を考えてるけど、一緒に見てほしい」

「真ん中に『蓮花』があるやつとか色々あるけどどれがいい?」

「墓石に掘る文字は何がいいかね?やっぱり『ハラ家』かな?
 でもお世話になってるお寺さんは浄土真宗だから、それでいくと
『南無阿弥陀仏』ってことになるんだけど、どう思う?」

「お金があと○○万円足らないんだけど、どうする?
 やっぱりせめて1周忌に間に合わせたいよね〜」





その度に俺は




「お袋が好きなようにしたらいいじゃんか」

「そもそも親父は『骨なんて海に撒いてくれ』って云ってたんだから
 そんなに神経質になんなよ!親父の意に反するよ!」

「お金無理してまで建ててどうするよ!親戚から色々云われて
 プレッシャーがあるのも分かるけどさ、でもウチにはウチの
 事情があんだから、ウチのペースでお金貯めて、それで
 建てられる時期に建てりゃいいんだよ!」




…などと云って、お袋を諭していた。
実際、一緒に墓石を選びにもいった事もあった。
しかしながら、お袋の墓へのこだわりは
何がそうさせているのか?とずっと不思議に思っていたのだ。




******************************




お袋は、父亡き後ずっと

「ちゃんとした墓を建てるのが
 私に残された使命なような気がする」


と云い続けていた。

最愛の人を亡くした母の精神状態も分からなくないが、
どうしても、墓にこだわるお袋が理解しきれなかった。

そもそも俺は「宗教チック」なノリが嫌いであったし、
親父がウチの状況を心配して「骨は海に撒け、墓なんていらん」
と遺言に近いものを残していたし、母のこだわり方は
どうしても父の意志に反しているような気がしていた。




しかし、三回忌の日、
お寺の土地に建てられた墓を実際に見た時、
お袋の気持ちがやっと分かった。




*******************************





お袋はずっと、破天荒な親父の後をついて、
決して順風満帆とは云えない生活を過ごしてきた。
しかし苦労の連続ではあったものの、不幸せではなかったはずだ。
この人だ、と決めた相手に必死でついてきた人生だ。


そんな母にとって、父の意に反した
立派な(決して華美ではない)墓を建てたのは、
唯一の父への抵抗だったのだ。



「破天荒に好きなように生きたあげく、
 あたしと子を置いて先に逝きやがったくせに、
 何が『骨は海に撒け』だ!かっこつけんな!」




お袋なりの親父への「復讐」であり、と同時に、
天の邪鬼だった親父だからこそ、それに見合う
妻としての最高の愛情と敬意なのかもしれない。








さらに、
墓石の裏面を見ると、この墓を建碑した親族の名として
お袋と一緒に石を選んだ私の名前も彫られている。

私は「はっ」と思った。



お袋は、上記のような思いを
私に共有してほしかったのだ。

だから、色々と墓の事について、
しつこく私に相談してきたのだ。

お袋は、上記のような思いを一人で抱く時、
ものすごく寂しかったに違いない。

私は「亡き父の意志」にばかりとらわれ、
さらに経済面で母の実生活を圧迫することを嫌い、
墓石にこだわることを、母の側から捉えきれなかったのだ。





未だ肌寒い長野では、まだ桜は開花していなかった。
お寺の固いつぼみの枝垂桜が静かに垂れる中、
2年間待ち続けた父の遺骨が、墓石の下に静かに仕舞われた。

花を活け、線香をあげるお袋の顔には
使命を成し遂げた安堵の表情があった。





****************************





親戚が集まっての法事も終えて、
実家に帰ってきた時、外でモクレンの花を間近に見た。


よく見ると、花たちは
これから力強く咲こうとしているところであった。




ちなみに、
2月に記事投稿した、母の勤めるパン屋は(→2005年02月26日(土)60歳の母に負けている。
さらに売上が伸びているとのこと。

一時は月50万の売上だったのが、80万になり、90万になり、
今ではコンスタントに月100万円を超えるようになったとか。



俺は母に云った。

「墓が出来たからっていって、ボケんじゃねえぞ。
 お袋がいなきゃ、パン屋がつぶれちゃうぞ」






それは、4月から会社にて
管理統括業務を任された自分にも言い聞かせていた。




母も俺も、もう過去を振り返らず、
先へ先へと新しい道を歩いていくのだ。




050411
taichi




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