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3月4日の参院予算委員会で、 低学年の小学生に対する性教育について批判が相次いだという。
小泉首相は、性行為が図解で説明されている小学校の教材を見て、 「ひどい。教育の在り方はもっと考えて欲しい」と批判。 中山文科相も「子供たちの発達段階に応じて教えるべき。」 と答えたとのこと。
2月24日に発売された「週刊文春」でも 『小学一年向け「性教育副読本」こんな物凄い中身でいいの』 という見出しが踊っていた。
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以前から、小学校の性教育がおかしい、 という記事を目にしていたが、そんなこと云ってどうせ、 一部のお固い教育者達が過剰に騒いでいるだけだろ〜、 と高をくくっていた。
しかし先日初めて、 その一部の小学校で使われている教材とやらを、ネットで見た。
す、すげーーーー!!!
想像を絶していた。
俺の負けだ。
性行為の図解本どころではない。
「器具」や「人形」まで使われているのだ。
さらには、ある小学校では四年生の保健の時間に子供たちが 「セックス、セックス、セックス」と連呼 させられているという。
スゴ過ぎる…。
最近では、初体験が中学の時というのが「早すぎる」と 云われなくなってきているらしい。
そりゃそうだ。 小学校の段階でここまでのテクニカルな技術と理論を教えられたら、 中学生になったら、もう「実戦」したくてたまらんだろう。
気になる方は下記URLをコピペして見てください。 あえて直リンクにしません。過激すぎるので…
http://popup12.tok2.com/home2/education/data/page02.htm
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さてと、ここで考えなければならないのは、 「何が問題なのか?」である。
性教育とは、おそらくもの凄く難しい事だと思う。
神奈川県の相模原市教育研究所が、 児童・生徒とその保護者、教員を対象に実施した 「子どもと性実態調査」の結果をまとめたが、それによると、 中学校教諭の4割以上が「性教育に自信がない」との 回答だったらしい。
「性」を隠し立てすることにより、正しい知識が身に付かず、 外部からの知識(いわゆるエロ本やエロビデオの類い、または友人) によって、誤った価値観を伴って「性」を覚えてしまう。 そういうことを防ぐために、きちんとした知識を学校で 身につけさせるためにも、しっかりとした性教育が必要だ、 という理屈は分かる。その通りである。
「○○○」や「○○○」や「○○○○○」といった部位の呼び方や、 性行為についても恥ずかしいもの、隠すべきものと思わせず、 精神的にも肉体的にも大切に扱わなければならないもの、 ということをきちんと教えること。これは正しい。
「『○○○』という言葉が出てくるから過激だ!」と、 表面的なことだけを見て、ギャーギャー騒ぐ教育関係者や父兄は、 あまりに考えがアサハカすぎる。
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見出しの「小学生の性教育」の記事を見て、実物を見て、 当然のように俺も「それってどうなの?」と思ったわけだが、 それはコトバが過激だとか描写がどうこうではない。 強いて云えば、見出しの中山文科相と同じだ。
どんな性教育積極論があれど、
とにかく「相手は小学生だぞ!」
ということ。
前述の図解入り副読本も、SEXを実演する人形も、 すべて相手は、小学生なのだ。 そこまでして教えて、彼らに何が理解出来るというのか?
小学生といえば、心理学的な段階で云えば、 「優劣意識」「善悪意識」という価値観を必死に覚えている頃だ。 性や自己意識などの「自我意識」は、やはり中学生になってからである。
「性」というのは、「身体」と「心」を連動させながら 教えないと、その本質は絶対に子供には伝わらない。
精神未発達の小学生に、性器の部位名やSEXの仕方を 器具を使ってまで懸命に教えてどうする? 「身体」の知識だけが先行して、「心」がついてこない状態では、 おそらく即物的に「性」を理解するだけなのではないか?
そうして「性」を覚えた小学生が中学生になり、 あたかも理科の実験をするかのように即物的に初体験をするのだ。
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そもそもだ。 欧米に遅れている性教育などと云われて、 オープンな方向へと変えていったのだろうが。 「カラダ」の教育ばかり盛んにさせて、 もう一方の「ココロ」の教育はどうなっているのか? 小学生がダメなら、中学になったら「性」を教えられる程、 中学生のココロの教育は出来ているのか?
養老孟司氏著の数年前のベストセラー『バカの壁』では、 「『文武両道』というコトバは、学問も武道も両立させるという意味だが、 本当の意味はそうではないと思う、頭と身体がそれぞれぐるぐる 回転し合って相互に影響を与えることが、人間形成において価値がある… そういう意味なのではないか」と云っている。 (うる覚えで書いているので、多少文章が違うかも…)
情操教育もままならず、ココロが未発達な人間に、 どれだけ正しくカラダのことばかり教え込んだところで、 やはり、エロ本やエロビデオや悪友から得る「性」と 変わらない価値観が出来上がるのではないか?
ちなみに、 欧米では十年前ぐらいからは「純潔教育」だそうだ。 ちなみに、 先進諸国で今だにエイズ患者が増え続けているのは、日本だけだそうだ。
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こう考えてくると、 「性」をどのように教えるべきかという問題にブチあたる。
とりあえずは、小学生にあそこまで詳しく教えなくてよい。 個々の精神発達段階に応じた適切な教え方が出来ればよいのだ。
しかし、親は子供への性教育を放棄して学校へ押し付けている。 学校では、一人の教師が大勢の生徒へ向かって一律的な性教育を している。とても個別指導なんてことは出来やしない。
果たしてこのように、 親は逃げて押しつけ、学校が一律指導すべきものなのだろうか?
もっと親と学校が協力し合って、個別に対面指導すべきでは? いや指導というより、カウンセリングというべきか? もともと、「性」はプライベートな内容の教育である。 親と相談した上で、同性の教師が個別カウンセリングできれば 一番良いと思うのだが、どうだろうか?
何分、「教育」を知らないものですから、 云いたい事を云ってしまっている点はご容赦ください。
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最後に、
文中のリンク先で見る事の出来る 小学生向けの過激副読本『ひとりで、ふたりで、みんなと』 の執筆者で故・山本直英氏という人がいる。
山本氏は、「科学的性教育」を提唱する 「“人間と性”教育研究協議会(性教協)」なる教育団体の創設者である。 一連の過激性教育の流れは、この団体の影響と云われている。
この山本直英氏が団体の機関誌でスゴい事を云っている。
「人類が二一世紀にかけるユートピアは
『エロスコンミューン』の実現にある。
なんですか、それ?
山本氏は自著でこのように語っている。
「いつ誰とどんな状況で性交するかはまったくその人の生き方であって、 人から指示されたり規制されたりすることのない主体性にかかっている」
→→主体性にまかせるといいながら、 まだ自我確立していない小学生に副読本で洗脳するな!
「男と女とは、たとえ結婚に結びつかなくても、婚前でも、婚外でも、 たとえ親子の不倫でも、師弟でも、まさに階級や身分や制度を越えて 愛し合うことが可能なのである」
→→確かに生物の本質だが、社会は無視ってわけだ。
つまりは、
「本能のままに、フリーセックス社会」
ってことである。
それが『エロスコミューン』。
この人が創った本が、 (一部の)小学校の性教育教材になっているというわけです。
050307 taichi
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