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- 2005年02月26日(土) ∨前の日記--∧次の日記
- 60歳の母に負けている。

※この日記は2/19の裏日記に掲載したものですが、
思いのほか反響がありましたので、AIRにて掲載することにしました。




****************



毎朝、母はパン屋で生地をこねている。

実家の長野で一人暮らしをしている60歳の母は、
毎日朝の7時半にパートのパン屋に出勤して仕込みを始める。

職場には母より少し年下のOさんというオバサンと、
26歳のTさんという女の子がいて、3人で店を切り盛りしている。

特に26歳のTさんとはウマが合うらしい。
端から見るとケンカしているような感じで云い合いながらも、
実は互いに分かり合っている軽妙なコンビネーションとのこと。
Tさんは、プライベートでも母を色々助けてくれていて、
俺は大変感謝していた。




****************




一昨年、父が亡くなった後、母はこのパン屋に勤めだした。
父が亡くなる直前に会社を解雇され、必死で探した職場だったが、
まさか、父亡き後の母を支える場所になるとは思ってもみなかった。
父の死の覚悟はしていたものの、いざ現実となってみると。
母も俺も本当の心の準備をしていなかったことに気づかされた。



母は云った。

「今のあのパン屋が無かったらと思うとゾッとするよ。
あの場所は、今の私の唯一の社会との接点なのよ。あそこにいると
『ああ、まだ私は社会に必要とされているんだな』と思えるの。」



父亡き後、俺は田舎に戻れなかった。母一人を残して
これまで通り東京で働き続けるしかなかった。親不孝である。
そんな独り身の60歳の女性を支えてきたのがパン屋であった。
その歳でよくそんな再就職場所を見つけることが出来たものだ。



***************


一昨年末、そのパン屋に危機が訪れた。
パン屋の社長が母に、
「売り上げが落ち続けていて、このままでは店を閉めなければならない」
と伝えたのだ。


母は焦った。
「どうしても店を閉めさすわけにはいかない!
 あの場所が無くなったら、私どうなるのよ!」



次の日から、母は店のパンを買い始めた。

最低でも一ヶ月80万円程度の売上がないと経営できないという。
当時の売上の一ヶ月平均は50万円程度に落ち込んでいた。
母は自分の居場所が無くなってしまうという危機感から、
店のパンを自分で買って、三度の食事に当て始めたのだ。


それ以外にも母は、2つのことを行った。


1つは材料費の削減である。売上が減っているなかで、
店を潰さないためには、材料費を削って利益を確保しなければならない。
具のソーセージを半分にして、切り方の工夫で食感を損ねないようにした。
クリームや餡の量を減らす分、生地の質と焼き加減でパンそのものの
歯ごたえをアップさせてリカバリーした。
コーンなどの具も仕入先を調べまくって、安い仕入業者を探し出した。

2つめは、つまり口コミ販促。
近所の人やスーパーで合う人達に声をかけまくったのである。




この母の「絶対につぶしてなるものか」という執念が、
他の2人の従業員にも乗り移っていった。

26歳のTさんは、遠くからタクシーで通っている。
そのタクシーの運チャンに大々的に営業をかけたのだ。
そして、運チャンがさらにお客さんに声をかけまくって、
周辺の人々が足を運び始めたのである。
55歳のOさんも、閉店間際になると、
売れ残ったパンを買って帰るようになった。






そうこうするうちに、一昨年末で50万円の売上だったのが、
昨年2月頃には70万円台まで回復していったのだ。


しかし、そこからがまた伸び悩んだ。
パン屋の社長は、そこまでの回復を褒めもせず3人に云った。

「もう少し様子見るけど、やっぱ素人じゃ昔のようには無理かな…」




母は悔しくて仕方なかったという。

「小手先の努力だけでは、これが限界。やっぱり2度3度と
足を運んでもらうためには、『あそこのパンはおいしい!』
って思わせなければダメだ!やるしかないっ!」



******************



そのパン屋に勤める女性3人は、全員素人である。

母は勤めだした時から、パン生地のこね方の講習会などへ出向いて、
テクニックを勉強していたが、さらに積極的に勉強に励んだ。




母と一緒に勤めているOさんというオバサンは
このパン屋で一番長く働いている人であった。
Oさんによると、このパン屋は昔は職人が何人もいて、
おいしいと評判の店であったらしい。そんな昔を知るだけに、
素人3人でなんとか切り盛りしている今の店の現状に、
Oさんのテンションは下がりっ放しであった。



仕事をしながらOさんは、事あるごとに母とTさんに

「あの頃はこうだった、良かった、それに比べて今は…」

という愚痴を云っていた。




再び売り上げが伸び悩み始めた時、
必死でパン生地をこねていた母の隣でOさんが云った。


「やっぱり素人ではダメね。昔のように職人がいないとダメなのよ」


これを聞いた時、母はとうとうキレた。



「Oさん。あたしね、確かに素人だけど、ここでパンつくってる時は、
自分はプロなんだと思って創ってるの。そう思って作業しなきゃ、
絶対に職人が創るようなパンに近づけやしないもの。
そりゃー昔は良かったんでしょうけど、私は今のこのパン屋しか知らない。
私にとってこのパン屋は、今の私の人生そのものなの。無くなったら困る。
職人がいなければダメなら、私が職人になるわ。そう思ってやってる。
昔と比べたら確かにダメよ。でもダメと思いながらつくったら、
ダメなパンしか出来ないのよ。それじゃ絶対にお客さんは戻ってこない。
そう思わない?Oさん!社長に対して悔しくないの?
昔を知ってるなら尚更悔しくないの?」




そのままOさんは黙ってしまったらしい。

隣で黙って聞いていたTさんは、
眉間を皺を寄せて黙々と作業をしていた。



********************



次の日から、Oさんの仕事ぶりが変わった。
愚痴は一切云わなくなり、新しい具のアイデアを自分から切り出した。


3人で話し合い、試行錯誤しながらパンを作り始めた。
おいしいと思わせると同時に、材料費はより削っていかなければならない。
焼き加減、味付け、盛りつけなどを工夫して、味とコストの両立を考えた。


そうこうするうちに、リピーター客が増えてきた。
近くの建設会社の社長が毎晩訪れるようになった。
隣のスーパーでレジ打ちしているオバサンが買いにくるようになった。
「なんか、おいしいって聞いたから」という人が僅かであるが、
訪れるようになった。売り切れるパンが増えてきた。
さらには、社長の計らいで他店舗から不定期に職人がヘルプで来て、
食パンを創っていった。その食パンはさすがに旨いと評判が立った。




そして、昨年の夏以降、
とうとう一ヶ月の売上額がボーダーラインの80万を超えて、
90万円台に突入し、そのラインをキープ出来るようになった。



めったに褒めない社長が母に云った。

「3人とも、よくがんばったな。店は当分閉める事は無いよ。
この調子で、なんとか100万円台に乗せたいね」




********************




今現在、母はもう
三度の食事用に店のパンを買っていない。
そこまでしなくとも、店は軌道に乗っているのだ。





今年の正月に帰省した時に、
母からこのパン屋の話を聞いた。

父に頼りっきりだった母であった。
父亡き後は精神的に危うかった。
そんな母をここまで強くしてくれたこのパン屋に感謝した。

そして、

「今の俺、働く人間として、お袋に完全に負けてるな」

と思い知らされた。







がんばらねば。



050219
...
    

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