|
|
|
|
|
- 2004年12月06日(月)
|
|
∨前の日記--∧次の日記
|
- 生まれて一度も日の出を見たことが無いって?!
|
|
|
|
|
俺の老後は 殺伐とした社会になりそうだ。
「生まれてから一度も日の出、日の入りを見たことがない」 と答えた小中学生が過半数にのぼることが、川村学園女子大教授の調査で分かった。
「海や川で魚釣りをした」「身長よりも高い木に登った」ことのない子供も四割強。 いずれも前回調査(平成12年)より未経験者が増え、過去最多。 体験の貧困さは自然の中だけにとどまらず、日常生活でも 「生まれたばかりの赤ちゃんを見たことがない」49・8% 「自分の服を洗濯したり干したことがない」43・6% 「包丁やナイフで果物の皮をむいたことがない」21・5%と続く。 年齢の違う人と触れ合う機会がなかったり、お手伝いもしないなど、 衣食住すべてで日常体験が不足しているとの調査結果とのこと。
(産経新聞より要約)
===============================================================
ありえない・・・
正直、このニュースは信じられなかった。 信じられないと思うのは、単なるジェネレーションギャップなのだろうか? こういうところに、今の少年犯罪や、ニート増加の温床があるのではと思ってしまう。
*******************************************
今の親は何をしてるんだ? 子供に普段何を見させているのだろうか?
そんな育て方しか出来ないんなら、安易に生むな! まるで室内犬のように子供を飼っているだけのではないか?
俺は、まだ子供を持った経験が無いので、正直、子供をつくって、 しっかりと育てている方たちを見ると尊敬してしまう。 そのくらい、子育てというのは大変なことと思っている。
先日、電車の中で子供に大泣きされている親がいた。 子供の泣き声は、正直、疲れて電車に乗っている者にとって実に神経に響く。 親は必死に泣き止ませようとするが、すればするほど子供は泣く。 乗客の怪訝そうな視線を浴びながら、居場所が無い表情の親の顔も疲れきっている。 虫の居所が悪ければ、文句のひとつでも云いたくなることもある。
しかし、敢えて「がんばれ」と、子に泣かれている親に対して思う。
以前、「お前にも色んな場所で散々泣かれたもんだよ」と、自分の親に云われた。 「泣かれている時はそりゃ周りの迷惑感じて必死だよ。 でも、泣いてるのを見ると安心した。子供の時から妙に大人しかったりしたら、 逆に不気味だよ。今からこんなんじゃ、どんな大人になってしまうのかってね」と。
泣かずに育つ子はいない。感情を出さないまま大きくなる子はいない。 子供のうちから泣く場所をわきまえられるなら、そもそも子は泣きはしない。 子供は「泣かせて」ナンボ、「笑わせて」ナンボ、「怒らせて」ナンボなんだと思う。 今の親は、子供を極力「泣かせないように」「困らせないように」しているのでは?
小学校からPC使ってのネット学習があり、学習塾もあり、家に帰れば、 ゲームもあり、ネットでのコミュニケーションがある。子供の時から相当に忙しい。 相当に頭だけでっかく育っていることだろう。 その分、もっと身体や心でも感じさせないと脳と身体のバランスが取れないと思う。 時間に制限があるなら、頭の方の時間を身体の方へシフトした方がよい。 適度に悩んだり、適度に怪我して泣きわめく。もっと身体を動かして、ものを見て、 五感で感じたものを自分で判断しながら育つべきだと思う。
*****************************************
一方、学校は何をしているのだろうか? 野外授業もさせていないのだろうか?
俺は臨海学校も高原学校も行った。学校の農園で野菜も作った。 小学校の時、休日にタマネギやさつまいもの収穫バイトをやった。 魚釣り、ザリガニ採り、カブトムシ採り、探検や秘密基地づくりをやった。 陣取り、メンコ、ゴムボール野球、かくれんぼ、鬼ごっこ(今で云う「ケイドロ」)・・・。 これらの遊びに学校の先生も一緒になって参加してやってたこともあった。
子供の時の情操教育の差は、大人になって致命的な差が出ると思う。
偏差値世代の人達が先生になり、30代前半の中堅どころになっている。 今、実際に現場でどのような教育をしているのか知らないが、 教科書は相当簡単になったはずだ。円周率は3.141592653589793238…ではなく、 単なる「3」になったはず。その分の時間を情操教育へ回すはずではなかったのか。 結局、教育を簡単にした分、学習が足りないと云って、 空いた時間に子供は塾へ通っているのでは?もしくは空いた時間を結局、 PC画面をじっと見つめる時間に回してしまっているのではないか。 先生は空いた時間をつかって、生徒を外へ連れ出していないのだろうか?
しかし、いくら制度を変えて、教育の末端の現場でがんばろうとも、 日本の社会が求める価値観が変わらない限り、学校・親・塾を一体とした 教育観が、知識・情報などの脳中心に回らざるを得ないのではないか? おそらくそのようにして育っていく子供は、大人になったときに、 効率・打算・損得・勝ち負けといったものにしか価値を認められず、 愛情や感性や努力や思いやりといったものが無機質に見えてしまう。 そういう人格がベースとして作り上げられてしまうのでは、と思ってしまう。
===============================================================
「生まれて一度も日の出を見たことが無い」が半数とかって 絶対にありえんって!おかしいよ!
理屈だけでも駄目。かといって感情や感覚のみも駄目。 頭での理解と身体での理解はリンクしていかなきゃいけない。 自分の気持ちを表現すること。相手に伝えようとすること。 両方なくっちゃ成り立たない。もっと身体で感じなきゃいけない。 でなきゃ、人とまっとうなコミュニケーションできないじゃん。 全体の感性やコミュニケーションレベルが低いから、そりゃ少年犯罪の率も高くなる。 今以上にいろんなことを「省略化」しようとするだろう。 あ〜本当に俺の老後は殺伐とした社会になってしまうのではないか・・・。
この「日の目を見ない子」たちは、 将来恋愛もできないぞ。
04 12 06 t a i c h i
...
|
|
|
|
|
AIR〜the pulp essay〜_ハラタイチ
/count since 041217
Mail
|
|
|