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2005年01月20日(木) 身体の一部分を共有すること |
1月3日に『別れる切れる』の大げんかをした後、 夫との間は、非常に平穏化しております。
近年まれに見る、静かな夫婦関係です。
まぁ、これはひとえに私が『悟りを開いた』おかげでしょう。 つまり、夫に対して期待しないことにした。 あきらめの境地ですね。
今までも、期待する事は無駄だとわかってはいたのだけど、 今回は心底思い知らされ、『どうあっても夫は変わらない。 私がジタバタするだけ無駄なのだ』と、理解した次第です。
そうすると、夫との距離を今までより3歩ほど離れてとる ようになり。(というか自然と離れてしまう) 離れたことによる淋しさもなく。 不思議なことに、私が離れると夫が近づくようになり。
夜中に、横に寝ている夫の頭が私にくっついていたり。(息苦しい)
追えば逃げる、逃げれば追う 男女の不思議。
とにかく、私が『しのごの』言わず大人しくしていれば 家庭に平和が築けるのですよ。
家庭の安息は妻の胸先三寸で決まると言って過言では ありません。
つまり結局、男というモノは家庭・夫婦関係に期待しては いないのでしょうかね? だから、妻への期待もしない。 ゆえに、夫からより妻からの不満が多く、妻が不満を言わ なければ、夫婦はうまくいく。
夫婦っておかしなもの。 変に身体の一部分を共有したおかげで、相手のことをある種 自分の身体の一部、もしかしたらモノみたいな感覚が生じて。
だから、相手に対して思いやりに欠けてしまったり。 自分と同化してほしかったり。 相手の思わぬ言動に、腹を立てたり悲しかったり嫉妬したり。 要求したり、欲したり。
なんだか、人間の嫌な面を見せ合っているような気もする。
で、原点に返って、夫婦であっても元は他人。 一個の人間同士なんだと再認識することに。
ちょっと離れて、心地よかったり。 でも、きっと、淋しい時もあったり。 模索しながら、暮らしていくのも悪くないかもしれない。
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