2003年12月05日(金) |
ありがとう ー○○丸ー |
私は先月から日記を書き始めました。で、その日記の最後には いつも、「全てに感謝」と書いています。これは、生きていく上で 感謝の心というのは、幸せに生きるためになくてはならない 心だ、と思ったからです。書き始めた当時は、この「感謝」の前の 「全ての」の部分に、万感の氣持ちを載せていました。
しかし、AYAさんの日記に触れ、我に返ったとき、ここ最近の 感謝が、形だけの、惰性になってきていることに氣づきました。 感謝には対象があります。その対象のことを思い浮かべず、 「全て」という言葉で、手抜きしたことにより、礼を失した「感謝」に なっていたように思います。この影響は、日常のあらゆる場面に 出てきていたかもしれません。
的確な感謝の仕方が見つかるまで、私はこれからも、「全てに感謝」 という言葉を書きたいと思っています。ただ、「全てに感謝」を書くとき、 あるいは日記を書くときは、この感謝の対象に対して、しっかりと 氣持ちをむけて感謝したいと思います。
まずは、このAYAさんの日記に出会えたこと、そしてAYAさんに対して、 感謝です。
新米ですが、愛読者(?)の一人として、AYAさんが健やかに過ごせること をお祈りします。突然の変なメール、失礼しました。 では
本当にありがとうございます。 貴方の心からのメールが私の支えです。 貴方に心からの感謝を申し上げます。 ーAYAー
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