新・ぽ組じゃけぇ!!
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2001年11月09日(金) 拝啓、新藤晴一様

PATi PATi「自宅にて」 〜戦争が始まった〜 読ませていただきました。

始まりにはきっかけがあります。それが戦争にしろ、何にしろ。
ことの発端は小さなことだったかもしれない。
けれど次第に大きく広がって、いつの間にか埋められない溝ができていた・・・
そんなことは家族の間でもあります。

あなたがおっしゃるように、良いことの箱と悪いことの箱に投げ入れていくだけでは、
今回のことは解釈できない問題なのでしょう。
私も、事件が起きた時、ものすごい恐怖と非現実感に苛まれました。
だって、外ではいつものように何事もなく買い物してる人々がいて、子供は
テレビゲームのように、ビルにぶつかっていく飛行機ごっこをしたりしている。
終日その映像は流れ続け、虚無感ばかりが心に広がってゆきました。

友達とも話しました。確かに戦い合うことは良いことではありません。
どちらか一方だけを極端に責めることもできないのでしょう。
そして、人の心に生じる傷は、良いこと悪いことの範疇を超えたものになっていると
思います。

たとえば、自分の大切な人が罪を犯したとします。罪を犯すことは悪いことです。
が、罪を犯すことの背景がどこかにあるはず・・・。そこが重要なんですよね。
世間から見れば、良くないことをした=悪い人。それで終わりになることが多いでしょう。
だけれど、どんなに罪を犯した悪い人になろうとも、自分にとって大切な人だと
いうことには変わりがないのです。
もちろん、罪が原因で大切に思えなくなる場合もあるでしょうが・・・。

「戦争は良くないことの箱に入れるべきだ。そこで僕は迷路に入った。
 これを、朝、奥さんと子供にキスをして、あのビルに出社して、
 そして窓の外からこちら側へ、突っ込んでくる飛行機を見つけた人にその瞬間、
 自信を持って言えるか?
 今回の戦争に限ってみればしょうがないのかなぁと考えてみる。で同じことだと気づく。
 僕は、降ってくる爆弾を見上げた子供に、しょうがないよって言えるのか?」

ハルイチさんのこの文章が胸の奥に残りました。

良いこと悪いことの判断だけでよければ、機械にもできる。だけど私たちは人間です。
付随する感情があるからこそ、悩んだり苦しんだりするんですよね。

ものごとには、けっして一言で片付かない心の葛藤が存在しているような気がします。

考えること、大事ですよね。何もできなくても、考えるだけでも尊い、そう思います。
ハルイチさんの言葉に惹かれる理由がここにもあります。

いつも言葉を投げかけてくださってどうもありがとう・・・。
                                      かしこ


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