清水の舞台から飛び降りる、自殺か中年男性
15日午後6時ごろ、京都市東山区の清水寺の男性警備員が「本堂下の斜面で男性があおむけになって倒れている」と119番通報した。
男性は同市内の病院に運ばれたが、全身を強く打ち約1時間後に死亡した。
男性が倒れていた場所の上部約10メートルには本堂舞台があり、欄干(高さ約1メートル)の下に男性の靴と同じ模様の足跡があったことなどから、東山署は男性が欄干を越えて、飛び降り自殺した可能性が高いとみている。
男性は30〜40歳代で、1メートル70。白色の長袖シャツに黒色のズボン姿。黒色の靴を履いていた。 (読売新聞) - 5月15日22時8分更新
…。
痛ましい事件だが、一つだけいえる事。
飛び降りた場所が普通のマンションだったら、きっとこんなニュースにはなっていない。
インパクト大。
ちょっと前に流行った本で、
「自殺ミシュラン」
と言う本があった。
自殺に関する、後片付けのコストやその方法によるインパクト、死亡率などを集めた書籍だが、強烈なのは電車の飛び込み。
特に、新幹線を使った飛び込み自殺は、新幹線のダイヤの乱れなどによる損害経費がなんと三億円!!
その三億円が遺族に対して課せられるのだ。
しかも、お悔やみついでにうやむやに、なんてことはなく、キッチリ請求、取立てがくるらしい。
サラリーマンの生涯所得の平均が4億と言われているから、ワンダイブで一生のお給料の75%がのぞみなく逝く計算になる。
逆に一番低コストなのが、市営公園での×××。
ちなみに教えない。
インパクトが八つ星クラスなのが焼身自殺。
苦しい、熱い、怖いの三拍子、火だるまの人陰が転げ回っている様は夢にでてきそうだ。
“天寿を全うする”。
と言うことはとても簡単そうで非常に難しい事だと思う。
西原理恵子のマンガにでてくるお話の中で、僕の人生の中でどーも疲れた時に出てくる言葉があってそれは彼女のおばあちゃんの言葉なんだが、
なぜ人間は生きるの?と言う問いに、
神様がもういいよ。と言うまで生きるのが仕事だからだよ。
と答える一節がある。
もちろんおばあちゃんの言葉はトンチで論旨のすり替えだし、神様の存在を信じない僕にはなんて事ない言葉なのだが、理屈抜きにとても温かく響く。
そして、自殺衝動が起こった時、自分の中で聞こえる、もういいよ。と言う声は、きっと神様の言葉ではなく、勘違いなんだと思える。
人生とはお金を稼ぐことが仕事なのではなく、自分の将来の為に、いま、蒔ける種を撒く作業の事を仕事と言う。
今、生きる。と言うことは、来年でも10年後でもなく、仮に死ななかった、死ねなかったから存在する一寸先の未来である今があると言うことで、逆に五分後にダンプに跳ねられて死ぬと言う未来は、神様がもういいよと決めたフンギリなんだと思う。
僕が思う神様とは、キリストでも釈迦でもなく、時間の流れの事だ。
世界を構成する全ての者に課せられる概念、=時間。
だから時間だけが絶対的な存在なんだと思う。
時間に逆らう事はあまねく全てのものに不可能で、しかし、一秒未来を作る事は絶対に不可能だとは言い切れないと思うのだ。
死ぬなとは思わん。
死にたいと思いたくなくても、神経疾患の衝動で死を選択する事を決議してしまう事もある。
そんな時に、紙一重で一秒後が存在できうるブレーキ、ソレが、支えなんだろうなと思う。
なんちゃって。
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