うやむや日記...はとぽ

 

 

水神と女。 - 2004年11月26日(金)

「水に棲む花」を買ってきた。んー、篠原さんにしては展開が遅いような…。
でも水神伝説は私も大好きだ。

水神は、日本人の精神的土壌の中に最も深く受け継がれているものだ。
鬼や天狗のように零落し河童という道化となってもいまだ生きて形を変え続けている稀有な存在であり、またそれは当然でもある。
今、人の心から闇への畏敬が薄れ、山も決して近しいものではなくなっても、水とのかかわりは決して絶つことができないのだから。
やはりその意味で、日本神話を語るのに水神というモチーフはなかなか適した存在であると言える。

でも「水に棲む花」に関しては、今のところそういった濃厚な神話の雰囲気がまだ感じられないのが気になるのですがね。イシュタルと呼ばれる娘を描いてもイシュタル神殿の聖娼には触れなかったし、そのあたりが篠原千絵の、というより少女漫画の限界なのだろうか?ただのエロに堕ちるからか?
まあ、今のところそういった面は抜きで読んでるけど。
水花の楪ちゃんもカイル・ムルシリからの繋がりか、それ以前の作品の「巻き込まれ型のヒロインにさらに巻き込まれるヒーロー」からは一線を画しているようで、新しい篠原世界を見せて欲しいところです。

***

…今の子なら誰でも知っている、学校にいたトイレの花子さんというのは、今この瞬間にも形を変え続けている水神≒河童の「最前線」といえる。唐突に感じるかもしれないが、元々河童は手水に出るものなのだ。用を足している最中に、女の尻を触る河童の話を聞いたことはないだろうか。河童は手水で尻を触ったり、尻小玉を抜いたりする。しかしこの低俗ないたずらも、遡れば神々しい伝説に端を発している。
三輪山の神は、その真の姿は蛇であった。
あるときこの神は丹塗りの矢に姿を変えて水を流れ、用を足していた女の女陰に突き刺さる。これによって懐妊した乙女の子こそ、初代神武天皇の皇后となるのである。


...