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2006年06月09日(金) 人生は双六だ3

 戦争画は、国から与えられた題材をこなしたという意味で、描いたのは藤田の本意ではなかったというように思っていましたが、ローマのウフィッツィ美術館で観た圧倒されるばかりの迫力と、観ていてそこに描かれた人の想いが絵から抜け出てきそうな魂の重なりがありました。戦意高揚のために国が描かせたものですが、藤田は画家としてその使命を全うしながら、実はそれを描く意味は全く他所に求めたのかもしれないなど思うと、しばらくそこに佇まずにはいられませんでした。それは、彼が生涯努力していたと思われる、描画の技を極めていくことや、目には見えないもの、たとえば、そこにあるものの魂まで描いて行こうとすることだったのかも知れません。鎮魂や祈りを感じたのは、私の錯覚だったのでしょうか。

 誰か一人の人生を、その作品を通じて時系列で観察すると、ドラマティックの度合いに差こそあれ、縦に螺旋を描いた双六のようなイメージを持ちました。行きつ戻りつ、螺旋階段を登って行くような、そんなイメージでしょうか。戻っても、そこは確かに前にいた場所とは異なっている。うまく表現できませんが、でも、その螺旋階段をずっと登って行くのです。それは、努力によって登る階段もあるし、時間が経つから結果として登ってしまう階段もあると思います。自分の登っている階段はどんな螺旋を描いているのかなと、こうして、展覧会が終わってしばらく経って、考えてみました。

 時には、息切れするくらい、勢い良く駆け上がってみても、良いのでは。


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