| 2014年02月12日(水) |
未熟なままにしておかないオトコマエさん |
きれいに雪かきされた風景に満足していたら、火曜日の朝にはまた一面真っ白になっていて、
午前11時には積雪21センチ。いやここは青森ではないはず! 千葉なはず!
筋肉痛がピークなんですけどもー、と思いつつも、ちりとりを手に再び出動したのでした。
雪国の方々はこれが、1年の三分の一は日常だものね。鍛えられるはずよね。
さてさて。
BROS.TV1月号でましゃがおっしゃっていた、
20年以上も演奏していなかった2曲(「天使の翼にくちづけを」「Running Through The Dark」)を
大感謝祭で披露することについて。
福 「年に一度は恥ずかしい思いをする、というのが、大感謝祭における僕のテーマなので。
セットリストを決めるときはいつもさかのぼって調べてみるが、ついつい似たような形になりがち。
やってないのないかなー、と探っていったらこの2曲にたどりついた。
でも20年以上やってなかったということは、やってなかった理由があるはずで。
それはやっぱり、自分の中で未完成なものとして位置づけられていたからだと思う。
未完成というか、未熟だと自分の中で感じていて。
今回は新しい曲作ったから(この曲は)やんなくていいかな・・・という積み重ねで、
気がつけば20年たっていたという。
(昔の自分の曲は)恥ずかしいんですよ、照れくさいし。でも、自分では照れくさいと思っているものは、
他の人からみると、意外と楽しかったりする。そういう部分をあえて自分でチョイスしてみようと。
やはり、チャレンジあっての大感謝祭ですから。これも自分を追い込むチャレンジのひとつです。」
20代の頃のましゃの声は、今よりもっとくぐもった感じで、歌い方もクールというか
いい感じの硬さと甘さがあり、それはそれですごくセクシーでステキです。
わたしは30代なかばくらいのましゃの歌声にまず遭遇し、それからだんだんさかのぼって聞いていったのですが、
20代の頃の曲や歌声に「恥ずかしいわー」と思うことはなかったのですが。
楽曲としては、音の厚さというかコクというか、リメイク後の作品とオリジナルとではその差は歴然。
昔の曲に魅力がないわけでは決してなくて、その当時としても本当にカッコよかったのだろうと思うのだけど、
原石がキラキラの宝石になってしまったくらいの違いを感じます。
ガリレオのテーマ曲「vs.〜知覚と快楽の螺旋〜」(2007年)が、6年後の「vs.2013」で、
あれほどカッコよく生まれ変わってしまったのだから、20年もたてば恐ろしいくらい進化させてしまうのは
当然かもしれませぬ。とはいえ、「こういう音にしたい」という明確な方向性がなきゃ、
いくら演奏の腕があがろうとさらにいいものに生まれ変わらせることはできませんね。
福 「音が聞こえてくるというか、頭で鳴ってくるというか。
頭の中で鳴ってこないものというのは、無理やりなんだよね。
たまにはその無理やり感もよかったりするんですけど、でも『今、こう行きたいな、こう鳴ってるな』
っていうのが出てきたら、どんどんそれを反映させていった方がいいので。
そういうのを具現化していけるっていうのは、すごくハッピーなバンドですよね。
伝えたイメージをすぐに表現してくださるスーパープレイヤーの皆さまなので、
こうやってぱぱぱっと変化していけるという。」
未熟な作品は、なんとなくそのまま捨て置かれちゃう運命なのが普通だろうけど、
ましゃの「拾う神」っぷりはいつも本当に見事です。
今もてる技術のすべてを駆使してあんなカッコいいステキな作品によみがえらせてしまうのだから。
以前のノーシングルライブでも、ファンの人気投票最下位だった「BLUE SMOKY」を
あえて引っ張り出してきて最高にクールなロックに仕立てなおした実績もありますしね。
わたしには創造的センスが皆無なので、「音楽が頭の中で聞こえてくる」とか、
「描きたい絵が紙の上に浮かんでくる」とか「書いている小説の登場人物が勝手に動き出す」とか、
ほんと神業にしか思えませぬ。ましゃはやっぱり音楽に選ばれた人なのだな。
などという、ましゃと音楽のかかわりなどについては、
45歳のお誕生日を迎えたましゃの運勢をリーディングなさったマダム・ミハエルにも
いろいろ言われていて、これもすっごく面白かったので、また後日。
|