| 2011年01月16日(日) |
単純作業を毎日続けるということ |
昨夜のたまラジで「人が毎日同じことをやり続ける」ことの意義について、
ましゃのとても興味深い見解が聞けたので、ちょっとご紹介。
「学校で生徒に毎日トイレ掃除をやらせるのは意味がないんじゃないか。
業者にやってもらった方がキレイになるし業者も仕事が増えて嬉しいし」と主張する
中学生に対し「でもやっぱり生徒達でやったほうがよい」と、その生徒が納得できるように
説得できた大人がいなかった、というツイッターでのやりとりが話題になりまして。
そういう生徒をどうやって説得したらよいのだろう? と尋ねてきた中学校の先生からのメールに対し、
ましゃは最初「わからないな。とりあえず『トイレの神さま』でも聞かせてみれば」なんて
おっしゃっていたのですが、「掃除に限らずひとつのことを毎日ちゃんとやり続けることに意味はあると思う」
と、次のように語られました。
・ひとつのことを変わらずやり続けると、それを中心に自分の中に軸ができる。
「いいことも悪いことも人生には色々あるけど、毎日同じことを続けていると、
それに帰れるというか自分の軸になるというか。
できれば人に言われたことじゃなくて、自分でやると決めたことがいいとは思うけど。
自分もまわりも色々なことが変わってゆくなかで、変わらず続けていることが1個あるだけで、
そこだけは変わってない自分、というのができる。そういうことが自分の軸になる。」
・何か起きたときその原因がわかり、人のせいにしなくなる。
「イチロー理論じゃないけど、
同じこと続けていると何か悪いことがあったときにその原因みたいなものが見えてくる気がする。
だからたぶん、何かあっても人のせいにしなくなる。反対に、ひとつのことを続けられる自分だからこそ、
いいこともやってくるのかなー、とか思ったりもする。」
・自分をコントロールする力がつく。
「それをやり続けるためには、そのための時間を都合しなくてはいけない。
環境がかわったり、年齢が上がったりしても、それを続けているということは、
そういう自分にするためにコントロールしているということで、セルフコントロールできてる、ともいえる。」
・凛とした美しい人間になる。
「修行僧や修道院の方が、たいして汚れてもないのに毎日床を拭くとか掃除するとか、
そういうことって、人としての清らかさとか清々しさに繋がっていく気がする。
何かわからないけど清らかに見えるよね、そういうの。
トイレを掃除するからきれいになるとは思わないけど、
人が嫌がることをやり続けることで、凛とした人になるのではないか。
凛とした人、すなわち美しい人、みたいな。
だからトイレ掃除を続けることで美しい子が生まれてくる、というのは拡大解釈としては正しいと思う。
だから学校の掃除というのも、キレイさのレベルとか、掃除としてクオリティの高さのことじゃないんだ。
同じ単純作業を毎日続けることの意味、ということなんだよね。
単純作業を続けるのは大変だし、それによって何か自分に筋が通るし、
何か凛としたものが生まれてくる気がする。」
これだけの見解をいきなり、それもなんてことない雑談の中から披露するましゃに、ちょっと驚愕いたしました。
説得力あるわー。
ましゃが実際「ひとつのことを続けていくのが好き。同じことやってても飽きない」人だけあって
ちゃんとご自身もそれを実行している人だからこそ言えることばかりです。
飽きっぽくてできない人に限って「やろうと思えばいつでもできる」だの
「ヒマだから続けられるんでしょ」だの「そんなこと必要ない」とか言うんだよ。
でもほんの些細なことでも、続けるというのはかなりの努力が必要。
だけど、続けている人にはそれがあたりまえだから、特に自分が凄いとも努力とも思わず続けていたりもする。
そして実際、飽きっぽくてすぐ投げ出す人より、
淡々と続けている人の方が凛として美しく見えるというのが本当に不思議。
なんでだろうね。でも本当に「凛として美しい」姿なのよね。
先週、グラビアアイドルのハダカカレンダーをあれだけ熱く詳細に語り倒したましゃが、
同じ熱さでこういうことを語れるそのオールマイティさというかバランスの良さが凄すぎる。
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