朝からタキシードの剛さん♪
なんとも晴れがましくキラキラした姿なんだけど、
ほわっと漂う穏やかな空気。
ほんっと癒されるなー。
わかるよ、わかるよ、あっきー。
剛さんの「頑張りや〜」のひと言で不安な気持ちが一瞬のうちに吹き飛んだのが。
あまりに色々なことをまんま受け止めすぎてしまうから、
とても心配に思うことも多々あるのだが、
そういう人でないと、他を癒すことなんてできないのだろうな。
ガンガン撥ね返していれば自分は安全かもしれないけど、
撥ね返された方は「癒された〜」とは思えないものね。
タキシード姿の後ろにあったメガスターを見て思ったのだけど、
いつかドームみたいなでっかい天井も、満天の星空にできるほどの技術が可能になったら、
そんな星空の下で剛さんの歌声を聴いてみたいです。
ペンライトの海に満天の星。すごいだろうね。
ペンライト消して星空だけにしても素敵だね。
剛さんの歌声なら、その迫力と美しさに全然負けてないだろうね。
さてさて、日曜日に無事子どもの乗った飛行機も飛び立ちました。
出発直前に空港の公衆電話から電話があり(携帯は持って行かないので)
「おかーさん? これから行って来るね。」
おぉ、元気で行って来い。生きて帰っておいでー。
自分で送り出しておいてこんなことを言うのも何だが、
この小心者の両親の子どもとは思えない思い切りの良さですわ。
私が英国3週間のホームステイをしたのは、
20歳も超えてかなり英語に不安がなくなってからだったというのに、
この12歳は『E.T.』(懐かしい映画だ)並みの英語力で、
英語とスペイン語しかしゃべれない家族のところに単身乗り込もうとは。
頼みの綱は度胸と笑顔と辞書くらいなものですし。
ひそかに緊張もしていたのだろうけど、そこいらは表に出さず
「がんばってくるぜ。オレは冒険してくるぜ」と強気なことを言ったかと思えば
「今まで何万人も行ってちゃんと帰ってきたんだもんなー。
オレだけが失敗するなんてことはないな」と
自分に言い聞かせるようにつぶやいてみたり。
ま、がんばって家族の一員をやって、ちゃんと帰って来い。
光一さんがリスナーからのおハガキに「知らん」「わからん」「ふぇ・・(あくび)」と
気持ちいいくらい無愛想におしゃべりしていた7月16日の『キンキラ』で、
お母さまが光一さんを初めて社長に預けるときに
「煮るなり焼くなりなんなりと〜」と
太っ腹なことおっしゃっていたと話していましたが、
内心はどうあれ、そのくらい太っ腹なポーズを取っていないと
子どもも安心して旅立てない、というのは確かでしょうな。
ニッコリ笑顔で「煮るなり焼くなりなんなりと〜」と言いつつ、
ほんとに煮たらぶっ殺すぞコノヤロウ の眼力と念力は
美しいお母上も忘れてはいなかったハズと推察いたします。
(↑ これは私の言葉使いでして、光一さんの母上はもっと上品だったに違いないが)
そして、そんなお母上の気持ちを、光一さんもちゃんとわかっておられたことと。
そしてもうひとつ土曜日のお話。地震後の帰還ストーリーその2でございます。
私が成田空港にいたころ、ダンナは飲み会で有楽町(帝劇所在地ですね)におりました。
千葉方面行きの電車が動き始め、彼がどうにか津田沼までたどり着いたのが午後11時。
しかし、そこから千葉に向かう唯一の電車が大混雑で、
相当待たないと乗れそうにない。
待つのが大嫌いな男はどうしたか。
「歩こ。」
家に帰って来たのは朝の4時半過ぎでした。
実に5時間半歩き続けた酔っぱらい。
途中ですっかり酔いは醒めてしまったらしいですが。
「普通歩かないでしょー。」
「最後まで歩くつもりはなかったんだけどさ。
鍵のかかってない放置自転車とかあったら貸してもらおうと思ってさ。
自転車なら1時間もあれば着くし。」
「それは『貸してもらう』とは言わないの。
しかもヨッパライが自転車乗っちゃいかん。」
「借りようと思わないときには結構あるんだけどな。
きょろきょろしたけど、夕べは一台もなかったな。」
「みんな考えることは一緒だし。早いもの勝ちだぁね。」
「いや〜 まいった。(←あんまり参ってなさそう)」
「稲毛駅や千葉駅まで来れば、タクシーも拾えただろうに。」
「そこまで来たら意地よ。最後まで歩くのよ。(←とても得意げ)
途中迷ったけどなー。 変な住宅街入りこんじゃったりして。」
なんてサバイバルな不審者。
っつーか、あっぱれな帰巣本能。
いわゆる屈強な大男ですから、夜道を歩いていても襲われる心配はありませんが。
むしろあんな酔っぱらいが夜道で前方からやって来たら、私だったら確実に避けますが。
緊急時だったから、職務質問とかもされなかったのでしょうか。
まともなお嬢さま奥様たちは真似なさいませんよう。
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