今日のおたけび または つぶやき

2004年09月15日(水)  国家安康



「僕はこんなふうにステージに立ってる人間なので、

僕が何かひとこと発すれば、誰かが勘違いをし、

話がどんどんふくらんで、違う話になっていき・・・。

それは仕方がないことなのかな、と思うけれども。

でも、『ORANGE』の「仕方ないで片付けたがる今」みたいに、

そのままでいると何も変わらないし。

そうやって生きてると胸くそ悪いし。」
(たまアリ9/4のMCより)




自分が耳にした、あるいは目にした素敵な音や話や素敵な光景を、

どうやったらその素晴らしさを損なうことなく伝えられるだろう、と

心を砕く人もいれば、


その真意をどこまで捻じ曲げて解釈できるか、

どこまで悪い印象で広められるか、どこまで貶められるか、に、

専心する人もいて。



ま、いいがかりとか中傷なんてはるか昔からあるもので、

有名なところでは、秀吉が建てた寺の鐘に「国家安康」「君臣豊楽」ととても良い銘を入れたのに

家康に「家康をぶった斬って、国を安らかにさせ、豊臣を君主とする気だな、コノヤロウ」

と、ねじ込まれたという有名なお話があります。



なので、今さら「してやったり」みたいな中傷記事を大いばりで書かれたところで、

痛くも痒くもねーのでございます。

修羅場をくぐり抜けてきた剛ファンの打たれ強さを侮っちゃいけませんことよ。




家康の場合は自分の天下がかかっていて、

某週刊誌の場合は、売り上げがかかっていたんだろうけど、ま、惨敗でしょうな。

あのビーサンさえも売り尽くした手腕の持ち主は、

貴様ごときのうすっぺらい記事なんぞで販促に利用されるような相手ではないわ。



ただ、自分が実際に聞いた話ならともかく、

記者しか聞いていない会見の内容となると反論のしようもございません。

記事を読む限り、書いた人間がその記者会見の場に実際にいたかどうかも疑問だけどね。



マスメディアの威力には遠く及ばないが、

剛さんの名誉のために、自分の耳で聴いた言葉だけでも。(いずれも4日のMCより)



「こうやって見に来てくれる、聴きに来てくれる皆さんがいるから、

僕が曲を作る意味も出てくるし、ここでこうして呼吸している意味もあって。

生まれてきてよかったな、と感謝する瞬間です。

またこういう機会があれば、皆さんに足を運んでいただけたらな、と思います。」



「来てくれてる皆さんの愛も感じつつ、後ろで演奏してくれてる皆さんの愛も感じつつ、

その愛の狭間でこうやって歌えることは、とても素敵なことだな、と思ってます。」





こんなわかりやすい言葉をこのまま理解できない脳と耳もあるのだな。

しょーもない脳みそと一緒に、しょーもない耳も捨てた方がいいね。


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