せらび c'est la vie |目次|昨日|翌日|
みぃ
近頃ワタシの身の上に起こっている幾つかの腹立たしい出来事について、主に精神的自己防衛の一貫として、土曜日に水星が西洋占星術的に言うところの「逆行」から「順行」に転換した折の「波紋」、という風に解釈するようにしている。つまり、そう言い聞かせる事で、突然起こり始めた諸問題について「大慌てする必要は無い」と自分を納得させているのである。 まあ実際ワタシの周りでも、何やら慌しいここ数日を送っている人々がいるようなので、恐らく本当にそういう事なのだろうとも思う。 更に明日は牡羊座の新月プラス「日食」でもあるので、この他にも吃驚するような出来事がどばと起こるのではないか、と多少心配もしている。今回の日食はどちらかと言うと友好的だと聞いているので、通常の日食・月食と比べても過ごし易いのだろうとは思うが、何れにせよ何らかの動きがあるのには違いないので、一寸覚悟している。 幾つかある問題のうちのひとつの事件については、少し遡って説明する必要がある。 それは折りしも「水星の方向転換」当日である土曜日の事だが、ワタシは同僚が教師を勤めている学校の演劇部の芝居見物に呼ばれて、彼女と一緒に川向こうの町まで出掛けて来た。 ワタシはその町を訪れるのが初めてだったので、彼女の提案により、先ずはその町の繁華街にあるレストランで夕食を取って、序でにちょっぴりワインなど呑んで、ほろ酔い気分でショーに繰り出そう、という事になっていた。 ところがワタシときたら、待ち合わせの場所を間違えるという「へま」をして、約束より三十分程遅刻してしまったので、それからその町へ着いて町並みを眺めている間に随分時間が押してしまった。数ある食べ物屋の中から漸くイタリアンに決めて入るも、注文した料理が来るまでに随分時間が掛かり、ワタシたちは結局前菜とパスタを途中まで食べた後、残りは持ち帰り用に包んでくれと頼んで、小走りに学校の劇場へ向かった。 そこは演劇部が盛んな学校らしいのだが、今回の演目は事の他力が入っているとかで、大昔「劇団員」というのをしていた事のあるワタシは大いに楽しむ事が出来た。ただ裏のオーケストラでピアノを引いている人物がよく間違うのが難だと思ったのだが、「先生」に聞いたらそれは同僚の音楽教師だとの事なので、それ以上苦情を言うのは止す事にした。 芝居がはねた後、バアで一杯やりながら、あれやこれやとワタシたちの所属団体やワタシたち自身の今後などについて、話に花を咲かせた。 ところが問題なのは、その町はワタシたちが住んでいる街と違って「屋内喫煙」が許されていたので、暫くバアにいる間に、ワタシたちの衣類はすっかり煙草の煙臭くなってしまった事である。 「公共建造物内での喫煙が全面禁止」という街に暮らしていると、そうでない町で呑みに行った後にお決まりの、髪や衣類に付いたニコチン臭の事をすっかり忘れてしまうが、久し振りにそういう状況に出くわすと、不快さが大変気になる。 翌日、ワタシはバスタブに湯を張り、その上へ前日着ていた衣類を全てハンガーに掛けて吊るしておいた。 暫くして確認すると、幾つかの衣類はまだ煙草臭かったので、ワタシは一旦水を抜いてからまた湯を溜め直して、再度スチームで臭いを取る作戦を試みた。 ところが、水を抜いている間にメールのチェックをしていたら、何やらいつも以上に沢山のメールがインボックスに溢れていて、それらを読み始めたらえらく時間が掛かってしまった。湯を溜め直している間に再びコンピューターに戻ったら、それに熱中し過ぎてしまって、ワタシは湯船が一杯になっている事に暫く気付かなかった。 うちの風呂は、恐らく欧米諸国で使われている典型的なタイプのもののうちのひとつと思われるのだが、所謂浅い湯船の真ん中より少し上の辺りに小さな穴が開いていて、水位がその穴に達すると勝手に排水されるようになっている。だから湯船一杯一杯に水が溜まって上から溢れる、というような事は起こらない。 ところが、この家へ越して来て直ぐの頃に気付くのだが、その小さな「排水穴」はこの家では本来のように機能していないのである。つまり、どういう訳だかその穴は排水溝に繋がっておらず、そこへ入った水は外へ漏れるようになっているようである。 そしてそれは、いずれ階下に水漏れを起す。 初めにそれが起こった時、ワタシは湯が排水穴より上に来ている頃にさぶんと湯船に浸かって、ちょろちょろと湯が流れるのを聞きながら、さて本でも読もうかしらなどと呑気にしていた。そこへとんとんと階下から人が掛け上がって来るのが聞こえたかと思うと、どんどんとドアを叩く音がする。 慌ててタオルを羽織って答えると、「下では水漏れがしているけれども、一体どうしたのか」と大家の奥さんが苦情を言っている。 着替えて出て行ってみると、うちの風呂場の真下である、裏口玄関を入った直ぐの辺りの天井から、ざあざあと湯が降っているではないか。 なんという事をしてしまったのだ。ワタシは忽ち驚いて、「申し訳ありません」と何度も詫びるのだけれども、しかしまさか、それがあの排水穴から出た湯の所為でこういう事態になったとは思いもよらず、不思議でならなかった。 そのうち大家が出て来て、無残に剥がれ落ちた天井のプラスターを眺めながら「気にするな」と言ってくれた。 翌日ワタシは、「排水穴から流れる水は排水溝へ合流して適切に流れる事になっている筈なので、その辺りの問題を直して貰えないか」と頼んだのだが、すっきりした返事が返って来ないまま、「とりあえず排水穴より上まで湯を張らないでくれ」と繰り返される。納得が行かないが、仕方が無いので、とりあえず引き下がる。 それ以来、水位には極力気をつけていた。 ところが今回は、その束のメールの処理に神経が行っていて、湯を張っていた事をすっかり忘れていたのである。 はたと気付いて慌てて湯を止めに行ったが、その頃既に階下でざあざあと湯が降っている音が聞こえていた。 ああ、やってしまった。 ワタシはすぐさま下へ降りてその惨状を確認すると、また階上の部屋へ戻ってバケツと大鍋と古バスタオルを手に再び階下へ降り、それらをあてがった。そして直ぐ脇のドアをどんどんと叩いて、大家一家の人を呼んだ。 暫くして、眠そうに目を擦りながら大家の奥さんが出て来た。ワタシが事情を説明し詫びるのと同時にその惨状に目をやった彼女は、ああと声を上げ、「地下まで水が行ってやしないかしら」と言った。それから、そこに敷いてあったマットなどを外へ出してフェンスに掛けておくように言いつけ、「気にしなくて良い」と言ってくれた。 ワタシは「湯は止めてあるので、一頻り降ったらいずれ止まるだろうから」と言って、再び謝り、階上へ戻った。 その惨事に少なからずショックを受けたワタシは、風呂場をとりあえずそのまま放置しておく事にして、メールの処理に戻った。 それから暫くして一通り用事を済ませると、明日は早いので、いつものように朝にシャワーを浴びるのではなく、夜のうちに風呂に入っておこう、と思い立つ。 風呂場は先程と変わらず、水位が排水穴すれすれである。 ワタシはこれを少し抜いて、水位が充分穴より下にある事を確認してから、湯を足して温度調節をしながら風呂に入る事にする。 湯船の下にある排水溝の栓を抜く。それから衣類を脱ぎ、髪をほどいたりしながら片足を湯船に入れ、温度を診る。元々熱い湯を張っていたので、思った程温んでいないから水の無駄が少なくて良かった、などと思う。 水位が下がって来たので、今度は両足を入れてそろそろと身体を沈め込もうとしていると、階下から人が駆け上がって来るような音が聞こえる。そして間も無く、どんどんとドアを叩く音がする。 まさか。ワタシは急いで風呂から出ると、そこに掛けておいた布切れをまとって、答える。大家の奥さんが、「また水漏れがしているのは、どういう事なの?」と言っている。 「お湯を流す為に栓を抜いただけなんですけど」と言いながらドアを開けると、布一枚まとって出て来たワタシを見るなり、奥さんは忽ちヒステリックに怒鳴り始める。 「何時だと思ってるの!?一体何時まで風呂入ってるのよ!?地下まで水が漏れて来てるじゃないの!御免なさい?一回目は御免なさいで済んでも、これで二回目じゃないの!御免なさい、御免なさいって、冗談じゃないわよ!謝れば済むって問題じゃないのよ!何時間風呂入れば気が済むのよ!既に問題が起こってるんだから、今日はちゃちゃっとシャワーで済ませればいいじゃないの?何でまた風呂入ってんのよ!?冗談じゃないわよ!」 彼女の怒りは尤もではある。早朝から仕事に出掛ける旦那に合わせて、彼女も早寝である。それを一回目の水漏れで起された上、それから三時間程してぐっすりと寝入った辺りで、又しても水漏れで起こされているのである。 ワタシは「起してしまって申し訳ありませんが、でもずっと風呂に入っていたのではなくて、今から入ろうかと思って、少し水を抜いていたんです」と弁解するのだが、それは殆ど聞こえていない様子である。 そうして怒鳴りながら階下へ降り、先程のワタシの古バスタオルで床を拭くと、彼女は大きな音を立てながらばたん!とドアを閉めて行ってしまった。 その様子を見ながら、ワタシはみるみる不安になる。 風呂の栓を抜いただけでも水漏れがするというのは、どう考えても異常なのではないか。それに、その事で何故ワタシがまた怒られなければならないのだ。 シャワーだけを使っているのなら然程問題無いのかも知れないが、ひとたび湯を溜めて、ある一定以上の水が流れ始めると、許容出来ない程に問題があるパイプ、という事なのだろう。そうなると、「風呂」として湯を溜めて使うのは今後避けなければならないのか。でもそれならば、「フル・バスルーム」として、湯船を備えたバスルーム付きの部屋を借りている意味が無い。 だからと言って、ワタシは何も毎日「風呂」に入らせてくれ、と言っているのでは無い。 そういう訳でワタシは、多くのこの国の人々同様に、通常は朝にシャワーを浴びて簡単に済ませているのである。それも、ここで暴露してしまうが、冬場は必ずしも毎日の事では無い。「風呂」に浸かるのは、主に冬場、二三ヶ月に一度、という割合である。本来ならもっと頻繁に風呂に浸かりたいところだが、そういう「曰く付き」の風呂だから気になってしまって、そうそう落着いて風呂にも入れないでいるのである。 ワタシはそれから、排水溝の栓は抜かずに、風呂の水を鍋でもって汲み出すとそれをトイレに捨てる、という作業を暫く繰り返す。もう恐ろしくて、とりあえず今晩のところは、排水溝から水を流す事など出来無いのである。 一通り水を汲み出すと少し安心して、ワタシは寝床に入る。 しかし、本来その不適切な配管工事に問題がある筈なのに、それを言っても直しもしないで、何故ワタシがあれ程までに怒鳴られなければならないのか、と憤り始める。忽ち眠れなくなる。 そもそも、彼らが「パーティー」はしないでくれ、というルールを契約に課しているから、ワタシはここへ越して来て以来、友人を招いた事が殆ど無い。その癖彼らは、家族や知人を招いて四六時中「パーティー」をやっているから、正直言って非常に五月蠅い人々である。 また孫たちを預かっている事も多いので、朝っぱらから子供の泣き叫ぶ声やどたばたと走り回る音がひっきりなしの日も多いし、また大家が週末の午前から自国語ラジオ放送を大音量で聞いているので、ガレージ付近からのその音でワタシは毎週末起されている。 しかしワタシは、そんな事に文句など付けずにやり過ごしている。 これまで大家や同居人などの問題であちらこちらを転々とする羽目になった経験から、ここでは出来るだけ「良い店子」として、家賃を期日前にきちんと納めるとか、一々文句を付けないとかいったように、こちらから問題になるような事は出来るだけしないで済まそうと、ワタシなりに努力して来たのである。 出来るだけ目立たぬよう、問題にならぬよう心がけて来たというのに、何故そのワタシが彼らの怠慢による問題の所為で怒鳴られ、「冗談じゃないわよ」とまで言われなければならないのか。ワタシが「ふざけている」とでも思っているのか。 そんな憤りでまんまと睡眠時間を削り、ワタシはぼんやりしながら、早朝から出掛ける仕度をする。 昨夜風呂に入りそびれてしまったから、今日こそはシャワーを浴びたいところである。しかし階下の人々が「昨夜何時間も風呂に入った癖にまたシャワーを浴びているのか」と怒鳴り込んで来そうな気がするので、台所の水道でもって髪を洗い、身体全体は清拭して済ませる。 慌しく準備をしながらメールのチェックをすると、昨夜ボスに送っておいたメールの返事が来ていた。 ところが、予期せぬ事が書いてあって、ワタシは暫く放心する。 長くなったので、明日の日記へ続く。
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