せらび c'est la vie |目次|昨日|翌日|
みぃ
週半ば、楽しく旅を終えて、帰途に着く。 悪天候のお陰で、ワタシが乗る筈だった飛行機は運航中止になった、と既に前日のうちからメールと携帯電話で知らせが来て慌てたが、その次の便が出る頃までには、早朝からの滝のような凄まじい吹雪はぴたりと止んでいた。 ワタシは行く先が温暖なのを知っているから、こちらを出る際にいつものダウンのロングコートを着ないで、軽いキルトジャケットの下に重ね着をして出ようと思っていたのだが、しかし朝起きるまではどちらにすべきか悩んでいた。出る日も戻る日も大雪で、しかも風の影響による体感気温がマイナス二桁台という予報だったからである。 しかし出掛けにその滝のような吹雪が止んだのを見て、ワタシはやはり軽いものを重ねて行く事に決定する。 午後になって着いたその街は、キルトジャケットを脱ぎ、今時流行りの(しかし買ったのは五年も前のセールだが)偽ファーのもにょもにょが付いたベストを脱ぎ、タートルネックのセーターを脱いでも、まだ暑かった。 遠くに山が見えるところが、まるで数年前お邪魔した旧友の住む町とそっくりで、何だかわくわくしてくる。 その友人と約三年振りの再会を果たし、近況や旅の顛末など互いに追いつくべく、あれやこれやと慌しく話し込む。彼女の同僚らが隣町へ主に買い物ツアーに出掛けたのを、ワタシの到着後ふたりして追いかける予定だったらしいのだが、辺りは既に暗くなり始めていたので、ホテルのある下町で御一行様の帰宅を待つ事にする。 その夜、この街の下町には大した見所が無い、とふたりでがっかりする。 「車社会」で知られた街である。車が無ければ何処へも行かれないので、必然的に行動範囲は狭まる。 翌日の日中にワタシはひとりで別行動を取ったので、その際には意外と見るものはあるじゃないかとその街を見直すのだが、前夜の段階では、週末の大都市の金融街はゴーストタウンである事を身を持って知り、また友人が持参したガイドブックに出ていた「安くて旨い」定食屋があんまり不味いので逆に感心したりした。 ワタシの泊まったホテルは、ある有名デパートメントストアーから直通の通路があって、一瞬便利そうに思われた。同僚らが買い物に出たと言うので、ワタシの友人も早速此処を覗いてみたいと言う。 ところが実際行ってみると、それはまるで場末の繁華街か商店街、または日本で言うところの大衆的有名大規模小売店にあるような、ちゃちな量産服だとか贋物的時計やサングラス、格安の寝具などを取り揃えた程度のもので、ワタシの住む街にある九階建ての本店と比べると天地の差であった。 尤もこの界隈でもこの店は比較的「大衆的」な部類のデパートメントストアーという事で知られているけれども、しかしワタシを訪ねた序でに彼女も既にそのきらびやかな本店を見ているので、その余りの差に大変がっかりして、なんだか可哀想である。 「今度またうちへ遊びにおいで」 仕方が無いのでそう励ましてみるが、何と今回の旅行の数日前に第二子御懐妊が判明した、と言うので、どうやらそれも当分は無理そうである。 御一行様が帰って来るのを待つ間、ワタシたちは彼女らの宿泊しているホテルの一階玄関脇にあるバアで一杯やりながら彼是と話し込む。地元の中年シングル男が五月蠅く話し掛けて来るので、何とか振り切って一先ず彼女の部屋へ逃げると、御一行様は既に帰っていた。初めましてと挨拶しながら、ところで何を買ったのですかと早速馴れ馴れしく交流を始める。 この二十代から四十代までの既婚女性ら五人は、それぞれ全くばらばらな個性の持ち主で、しかもそのどれも被っていないという不思議な組み合わせ(メンバー選出はワタシの友人である)である事が追々分かってくるのだが、飛び入り参加の部外者であるワタシにも皆気さくに接してくれる、大変ご親切な女性たちである。 翌日の仕事の手順の相談や準備などをワタシも少し手伝って、漸く夜更けになってワタシは自分のホテルに戻る。 飛行機のチケットとの「パック」の兼ね合いで、取れた部屋は何と「キングサイズ」のベッドである。それを独り占めにして、ぐっすり眠る。いつもなら寝る前に何か読んだりテレビを見たりして、結局寝るのが遅くなってしまうのだが、此処での滞在中そういった「ナイトキャップ」の必要は一切無かったのは不思議である。 御一行様は翌日から二日間仕事で郊外の町へ行くのだが、ワタシは初日は特に手伝う必要も無いから「お出ましに及ばず」との事で、ひとりで下町探索に出掛ける。 意外と見るものがあった、と言うのは、例えば初期の移民が作った当時そのままの古い建物や町並みが残されている地区だとか、移民博物館や移民街だとか、またワタシが世界中で最も優れた仕事をしているマスメディアのひとつと高く評価している某新聞社があったりだとか、そういったものの事である。 それからまるで同じ国とは俄かに信じられないような雰囲気の、別の土地からの移民が作り出した独特の「マーケット(屋内市場+多国籍簡易食堂の複合)」をうろつき、数ある食べ物屋の中から何故か「タイ・カレー」を選んで昼飯にする。 此処では鶏の丸ごとを吊るしたのや青いバナナの山に混じって、精油や純石鹸なども売っていて、ワタシは何やら意外に思う。この街には住めそうな気がしてくる。 この国の移民文化や、またこの地域が抱えている経済的・文化的諸問題に感心が無ければ、この街の下町には用が無いかも知れない。そういう予備知識が無い旅行者は、空港でさっさと車を借りて、郊外にあるこの国の資本主義を代表する数多の見所群やショッピングモールなどへ向かった方が得策である。 そういう訳でワタシはひとりそれなりに街を楽しみ、夕方友人らがホテルへ戻って来たところで再会して、別のホテルにある食堂群へ繰り出す。 聞けば彼女らは、早朝七時に集合してチャーターした車に乗り込み、一日立ち通しの仕事をこなして夜ホテルへ戻った今の今まで、何も食べていないと言うのである。ワタシは「現地コーディネーター」という人物がそういった事に全く配慮していない点を、不審に思う。 兎に角喰え、とワタシは言う。食堂群の中で最も安い辺りの軽食屋周辺に陣取り、腹ペコの彼女らに何でも好きなものをどっさり買いに行かせる。 昼飯が遅かったので、ワタシはビールを片手に「ランチョンミート」という名の贋物肉を用いた大変「移民的」なおにぎりを少し齧って、後は人々の今日の多忙振りの話を聞く。あんまり酷い話なので、翌日はワタシも「体験レッスン」に加わるという名目で彼女らにくっ付いて行って、その悪徳「現地コーディネーター」女史を拝んでみる事にする。 一通り喰い散らかした後、今度は食堂群から一気にエレベーターを上がって、「回転酒場」へ繰り出す。 これは「寿司屋のようにテーブルが廻る酒場」という意味では無くて、「ワタシたちの座っている付近が塔の周りをくるくると一時間掛けて廻るので、窓から見える景色がころころと変わる酒場」という意味である。 此処ではわいわい楽しく飲みながら「夫婦問題」やら「裏人間関係問題」やら「組織問題」などについて有意義な意見交換をし、帰りしな請求書に見つけた不可解な「食べ物」という請求について若い給仕を捕まえてひとつ説教を垂れた後、責任者による静かな説明で漸く合点が行き、充実した気分で帰途に着く。 翌日は前日皆さんが使いそびれて余ったという「朝食券」をひとつ頂いて、皆さんと共に朝飯を喰う。 ワタシは此処で、前夜大して喰わないのに飲み始めてしまった所為で一寸二日酔い気味なところへ、ベーコンのかりかりとかクロワッサンとか卵や芋の焼いたのとかいった更に脂っこいものをたらふく食べ、そこへ果汁を絞ったものと思われるみかんジュースをぐびと飲み干し、更にいつものように珈琲を二杯程飲んでしまったので、後で腹具合が優れずに偉い思いをする。 ワタシの友人らに前日一日飯を食わせなかった例の非情な「現地コーディネーター」は、結局翌日にもワタシたちに飯の相談を一切せず、また現地で借りた場所の会計担当者と手配や会計など諸々の話をしなければならないのに一切口出しをせず、全てを土地に不慣れでまた現地語の出来ないワタシの友人に押し付けてすっ呆けていた。 それは必然的にワタシともうひとり、同行した友人の同僚のひとりで此方に留学経験の有る女性とで通訳する羽目になったのだが、「現地コーディネーター」からワタシの友人にこうせえああせえと指示が入り、それをワタシの友人がワタシに「こう言って」と指示し、それをワタシが現場の担当者に通訳して「こうして下さいって言ってます」と伝える、という、全く面倒な仕事の進め方であった。これを端折って、「現地コーディネーター」が直接現場担当者に言えば話が早いのに、何だか馬鹿げた話である。 ひょっとしてこいつも現地語が出来ないのか?と思わず友人に聞いたら、こちらの永住権を持っているそうだし、もう何年も住んでいるという話だから、現地語に不自由している筈はないと思う、と言う。 もうひとり通訳していた同僚女史も、前日の段階で同じ事を考えていたと言う。実際様子を見ていると、やはり現地語が出来ないから直接自分で話をしないのではないか、と考えると納得が行く。しかし、ならば何故「現地コーディネーター」なのだろう。現地語が出来なかったら、用が足りないではないか。この女、何しに来たのだ? 「懇親会」では、ワタシも飛び入り参加の癖に厚かましく色々の人々と話をして、勝手に楽しく過ごす。 そのうちそこで知り合ったひとりの現地在住女性が、翌日休みだから、もし皆さんに予定が無ければ、うちの車でお買い物にお連れしましょう、と申し出てくれる。こちらに長い在住者や移民は、割合そうやって同朋を無償で助けようとか力になろうとしてくれたりするものである。此処にもひとり、そういうまともな感覚を持った同朋が居たか、とワタシは感慨に耽る。 夜はまた下町で、今度は何を食べても旨いと評判を聞いた海鮮の店に繰り出す。 本当にどれも旨かった。 皆それぞれに頼んだのを味見し合ったのだが、そうやって美味しいものを色々食べられて、大人数で食べるというのは愉しいものだと思う。 その日は、此処のところ皆余り寝ていないのでゆっくり休養を、と早めにワタシたちの夜の宴をお開きにしたのに、翌日聞いたら行く予定のショッピングモールの様子をガイドブックで調べたりなどしていて、結局寝たのは朝方だったと言う。 ワタシの方はショッピングに対する関心も無ければ、ガイドブックすら持たずに出掛けているから、人々が翌日の予習中、例のキングサイズのベッドでゆったりすやすやと八時間以上眠っていたから、準備は万端である。 折角のお休みを割いてくださったその奇特な女性は、ワタシたちのリクエストに答えて彼方此方へ連れて行ってくれた。 長く住んでいるワタシには見慣れたもの、または久し振りの懐かしいものも多いが、日本からやって来た人々には目移りするような大型スーパーマーケット、大きなショッピングモール、アウトレット屋など。しかし夕飯には「是非新鮮な土地のものを」とおねだりして、寿司屋へ連れて行ってもらう。 しかし折角の新鮮なネタにも関わらず、肝心の味の方は「外れ」であった。ネタが良いのなら、下手に手を加えない方が旨いのに、惜しいところである。 夜になってホテルへ送り届けて貰ったワタシたちは、その日の戦利品を見せびらかしながら、それぞれの結婚に至るまでのあらましだとか、仕事上の試練など、それぞれの人生のドラマについて話をする。 ワタシ以外の人々は皆既婚者でありながら、しかし意外と「すっかり幸せ」という訳でも無いようである。人それぞれに、ドラマ有り。彼女らの行く末に幸多かれと祈る。 涙有り、笑い有り。そういう短くて深い人間的触れ合いは、朝方まで続いた。 最終日は、結局一睡もしないまま空港へ向かう。 ワタシが友人への土産に持って来たべーグル・パンとクリームチーズを詰めたのは、流石にクリームチーズの表面に黄色いまんまるのや白いもにょもにょが湧いて来たのを見るにつれ、これは日本に持ち帰るに及ばずと「持ち出し禁止令」を出すに至る。 同様に、彼女がワタシに持って来てくれた折角の「おやき」にも、緑色のまん丸が湧いて来ていたのは、悲しかった。 どちらのホテルにも冷蔵庫が無かったのがいけないのである。 ワタシが二日目の晩に食べたひとつは、彼女に頼んで彼方此方のを持って来て貰って食べ比べるつもりでいたうちの「一番不味いやつ」だった、と彼女が嘆く。 生ものは、室内で保存が効かないと知る。 ワタシが住処に帰る飛行機と彼女らが日本に帰る飛行機は、偶然にも同じ時刻に同じ空港を離陸する。本当に直行便か?と思わず尋ねてみる。方向が正反対ではある。 航空会社が違うので、隣のターミナルまで彼女らと最後の別れに行くも、チケットが無いと此処から先は入れない、と門番に止められる。 仕方が無いので、彼女らのひとりが持参した携帯電話に電話をして、友人を呼び出す。仕事に使う小道具などで手荷物が多いので、順に番をしながら免税品の買い物に行っていると言う。皆さんによろしくと伝えて、ワタシは友人とまた暫しの別れを告げる。危うく涙が零れそうになる。 彼女と別れて間も無く、もうそろそろ飛行機に乗り込むという頃に、電話が鳴る。別れを告げられなかった人々が、順繰りにワタシに電話で別れを言ってくれる。律儀な人々である。皆次はうちへ泊まりに来い、順繰りに「やどかり」になれば良い、と言ってくれる。彼女のお陰で、日本に新しいともだちが沢山出来た、と心強く思う。 ワタシの乗った飛行機は、ほぼ定刻通りに離陸する。どちらが先に飛んだのだろう、とふと思う。 朝食と睡眠を取っていなかったので、ワタシは機内で軽いサンドウィッチとチップスを購入(「機内食付き」ではなく飲み物以外は追加料金という、大手航空会社ながらも安いチケットの便である)してさっさと平らげ、歯磨きとフロスをして矯正器具を設置すると、すぐさま眠りに付く。 耳に圧迫感を感じて、目が覚める。 すると飛行機は、既に我が街の上空を下降しつつあった。六時間なんて、あっという間である。夜景が綺麗な、いつもの我が街である。「ただいま」と声を掛ける。夜景がひらひらしながら、笑って出迎える。 地上に降り立つまで気付かなかったが、外は雪が降っていた。しかも、風の影響による体感気温が-13℃で、この冬一番の冷え込みだと言っている。やはりダウンを着て出れば良かったかと、一寸後悔する。 外は深々と冷えていた。 友人に「おうちに着いたよ」とメールを打つ。 暫くして、「先程地元の町に帰って来た」と返事が来る。 「皆が会えて良かったと喜んでいる」と言うので、「ワタシも新しくおともだちが出来て良かった、貴方も良い人々に囲まれて暮らしていると分かって良かった」と返事を打つ。 既婚の女性たちが揃って数日家を空け旅に出る、というのは、実は大変な事である。「色々なところで支えてくれた多くの人々にも、有難うと伝えてくれ」と言う。 そのうち、ワタシが持たせた土産物の飛行機のおもちゃを握り締めて笑っている、彼女の長男の写真が届く。 彼はもう言葉が沢山出て来るらしいのだけれど、写真ではそれが分からないので、来年辺りまた会いに行かなくてはと思う。 あちらも大雪だそうである。「半袖とジャケット」の束の間の骨休めから、再びそれぞれの現実へと戻って行く。
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