せらび c'est la vie |目次|昨日|翌日|
みぃ
ワタシの住む街の辺りは、昨日なんとこの夏一番の暑さを記録したそうで、それは約38℃という話である。 道理で暑かった訳である。 昨日のワタシはよりに寄って、炎天下で公園の水撒きヴォランティアを先ず日中の一番暑い時間帯にやっていたので、肩や背中が日に焼けて真っ赤である。 しかし好きな下町の公園で今にも死にそうに肩を落とした草花が一寸でも生き返るのなら、例えワタシの肩が醜くそばかすだらけになろうとも、水撒きを優先してやろうと張り切る。 序でにその界隈で寝泊りしている皆さんとも交流の機会があるので、世の中面白い事というのは実は文字通りそこいらに転がっているのだなあ、と感慨に耽る。 その後更に食事を提供するヴォランティアにも行ったのだが、そこは屋内で冷房が効いていたので幾分救われる。 それにしても、じっとしていると絶えず汗が滴り落ちてくる。寝ている間にも驚く程汗を掻いていて、起きるとシーツがべちゃべちゃである。 今日も負けずに暑そうなので、本当なら街中の大きな公園で、とある日本からやって来たバンドの皆さんがジョイント演奏会をするそうで、それに出掛けてみようかと思っていたのだが、午後三時開始ではまだまだ暑いので一寸気が引ける。 しかも夕立があるらしいから、その後の蒸し暑さを考えたら、同じ暑いのでもうちで過ごした方がマシだろうという事で、外出は取り止める。 唐突だが、このところのワタシは、禿げた男性と縁がある。 金曜日に食事とバアで軽く一杯などご馳走してくれた男性は、それこそインターネットで知り合った「本格的デート」第二弾なのだが、彼は禿げていた。 他はそれなりに良い感じなのに、残念な事である。 彼は海老の輸入とか卸売りなんかをする会社をやっているエグゼクティブで、仕事の関係で現在日本語を勉強中との事であった。 しかしだからと言って、西洋人に良く居る「二ホンジン女性フェティッシュ」のように矢鱈と日本事情に詳しいとか、またはもっと恐ろしい「日本アニメ・オタク」のようにある特定のサブカルチャーに執着しているとかいうような、特に注意すべき点は見当たらず、至って在り来たりなこの国の男性、つまり外国事情には比較的無知・無関心な男性であった。 魚が好きだと言っていたから、それでは一丁ハードコアなシーフードを喰わせてくれとリクエストしたら、彼が連れて行ってくれたのはギリシャ料理店であった。 日本の店はべらぼうに高いから、ワタシの方で敢えて「日本食以外」と条件を付けておいたのである。 ところがこのギリシャ料理店も実は負けず劣らずの高級店で、ワタシは肩を出したデニム素材のドレスを来て、そして先日購入したてのワタシには一寸ヒールの高い黒いサンダルを合わせて出掛けたのだが、それはある意味正解というか、あれよりカジュアルだったら入店を拒まれただろうと思われるような、それは街の中心地に程近い洒落た立派な店であった。 どれ程立派かと言うと、ワタシたちの座った席に計五人もの給仕が付いたくらいである。 しかしそんな事に動揺する間も無く、出て来た前菜の「蛸のソテー」は、絶品であった。 「禿げちゃ鬢」氏曰く、ギリシャの家庭では屋外にひとつ専用の洗濯機が設置してあり、そこへ蛸とテニスボールだかゴルフボールだかを一緒に突っ込んで、暫く攪拌して柔らかくするのだそうな。 ちなみにうちの大家さん宅では、屋外の洗濯機というのは見掛けない。 それからワタシはアテネとパトラスとクレタ島というところを過去に訪れた事があるのだが、流石に屋外の洗濯機には注意を払っていなかったので、確認していない。 そういう訳で、この件の真相に関しては、定かでない。 兎に角、その蛸は大変柔らかく、塩加減も絶妙で、勿論本場直輸入のオリーブオイルで玉葱を薄く切ったのやケイパー(ケッパーとも言う)などと一緒に炒めた、大変味わい深い一品であった。 ワタシはもうこの蛸料理だけでも、今夜この「禿げちゃ鬢」とデートをする事にした意義を大いに見出した、と感動したくらいである。 しかし、ギリシャはそれだけでは無かった。 次に出て来た、やはり前菜の「ズッキーニと揚げたフェタチーズのディップ添え」は、まずまずの味だったが、手軽に手掴みでワインと共に味わうのには適した一品であった。 ところがその後出て来たメインは、「金目鯛のグリル」であった。 これは彼が、先程一寸見かけた金目鯛の様子が大変良かった、と言ったので、ワタシは鮮度重視で行きましょうと同意して決めたのだが、これは正に秀逸の一品であった。 海老や貝類、または鮭以外の魚を食べる機会の少ないこの国で、ワタシは恐らく初めてこんなに旨い魚料理を食べたのではないかと思う。ギリシャは偉大なり。 と持ち上げた後で難なのだが、要するに適度な塩を振ってからグリルで焼いた、所謂「焼き魚」である。それは日本の家庭でも全く珍しく無い調理法だから、これを日本で読んでいる読者の皆さんには余り興味を引かないだろう。 つまり、余計な手間は掛けない方が、鮮魚は旨いという話である。 そして魚好きには残念な事に、頭と尾は身を取った後の骨と共にさっさと持って行かれてしまったのだから、ワタシは思わずその頭を此処へ置いて行って頂戴とリクエストしそうになったのだが、しかし流石に高級レストランでは魚の顔とか頭までほじくって食べる事は出来ないのだろう。大変残念である。 しかしその身の方はしっかりと締まっていて、程良い塩加減と少しのオリーブオイルがまろやかな味わいを醸し出している。 塩は恐らく海の塩だろうと思う。ぴりぴりとした人工的な「食卓塩」独特の塩辛さは無い。 ワタシはこの金目鯛でもって、更にこの「禿げちゃ鬢」を見直した。人は見掛けでは無い。 旨い物が好きな人と食事に出掛けるのは、大変結構な事である。 「何でも良い」とか言うような、食を楽しまない人間は、実はその他の人生の色とりどりな愉しみにも興味を向けなかったりするので、要注意である。 実はこの「禿げちゃ鬢」には離婚暦があって、それも一寸したドラマがあった模様で、そのトラウマティックな経験の為に彼は心理治療のお世話になっていると言う。 しかし男性には珍しく、「自分は恐れの中に生きている」などとはっきり自分の弱さを打ち明けられる余裕というのか、素直さも持ち合わせていて、ワタシは基本的にそういう正直者が好きなので、それなりに好感を持つ。 彼もヨガをやると言うので、暮らし方や人生に対する考え方が近いという点で、株が上がる。 そして彼は街中のアパートと郊外の海辺に家を一件所有しているそうで、ワタシの冷房の無い蒸し風呂部屋の様子に同情して、もし良かったらいつでもどちらの家にでも遊びに来てくれて良い、どうせ自分は仕事で余り家には居ないのだから、と申し出てくれたのは、親切な事である。 これには肉体奉仕が含まれているのだろうか、と少し悩んで、結局社交辞令と受け取る事にする。 しかし次第に夜が更けて行くに連れ、彼はまだ暫くセラピーが必要な様子で、未だ心の問題から回復し切っていないらしい事が明らかになり、ワタシは流石に一寸疲れてくる。 彼には恋愛感情を持つには至らなそうだが、しかし時折こうして食事に出掛けたりあれやこれやと深い話をするのには良いかも知れない。 そういう経済的な余裕はあるのだし、ワタシの方もタダ飯に有り付けるのは好都合、と言ったら打算的過ぎるけれど、それでは例えば二ホンジン漁師または漁卸業者相手の通訳や翻訳くらいならいつでもやって差し上げるからという事で手を打ってはどうだろう。ワタシは海老も好きよ。 そういう訳で、最近の「禿げ」その一との出会いである。 「禿げその二」は、厳密にはデートはしていないのだが、偶々昨日公園の水撒きを一緒にやったパートナー氏である。 彼は帽子を被って作業していたのだが、垣間見れる部分の乱伐具合から、恐らくこいつも「禿げちゃ鬢」だろうと踏んだのが見事に当たっていた。 彼は川向こうの町に住んでいて、月に一度くらいの割合でヴォランティア活動をする事にしているそうである。来月からはワタシの住む辺りの隣の隣くらいの地区にある会社に勤め始めるのだが、つまりそれは通勤の為に川をふたつも越えなくてはならないので結構な手間だが、それでも地元が気に入っているとかで、現在の住処にそのまま住み続けるつもりでいるらしい。 しかしそんな一寸田舎臭い彼とも意外と話が弾んで、お互いの仕事の話やら歯列矯正の話やらで飽きないで済んだのは、好都合であった。 身長も高いし体格もかなり 結局帰りしな駅周辺まで一緒に行ったのだが、名残惜しそうにワタシの後をくっ付いて来たり、去り際にもまた同じ活動で一緒に作業出来たら良いですねと念入りに握手をして来たところを見ると、どうやら近頃のワタシは「禿げ」に好かれるようである。 以前親しかった一寸年上の独身女性が言うには、「禿げ」は自分の容姿にコンプレックスがあるから、女性にもマメだし、気が利いて中々良いデート相手であるらしい。 というような話を思い出して、成る程と頷いたりした。 そうか、この街の異性愛者男性のお付き合い可能率は大変低い、というのは良く聞かれる話だけれども、そもそもの人口比率問題に加えて、その中には未婚でゲイでは無いから「一応可能だけれども一寸難あり」というのも含まれている所為で、結果的に女性があぶれる仕組みになっているのだろう。 ワタシは個人的には過去にひとり「禿げちゃ鬢」と付き合った事があるけれど、しかし特に「禿げ」を避けたつもりは無い。 しかし「他は申し分無いのに、でも『禿げ』なので残念」と思うくらいだから、差別意識があるのは否定出来ない。 ちなみに「デブ」も許されないと思うところは、差別と言われても仕様が無い。 しかしこの点に付いては例の「禿げちゃ鬢その一」と話が合ったのだが、どんなに旨い物が好きでも、自分の欲望をコントロール出来ない程の「喰い過ぎ」はやはり問題である。 この街では比較的所謂「百貫デブ」クラスの超肥満体を見掛ける事は稀で、もしいたらそれは大抵他の町からの旅行者である。 そういえば日本で「百貫デブ」と言ったら単なる子供の冗談なのに、この国ではそれが冗談で済まない所が味噌である。 一貫ってどのくらいの目方かしら、と思わず調べながら納得する。 尤も、元々の体格がアジア人のそれとはかなり違うので、「普通」の範囲が広めに設定されている点は否めない。 しかし他所の町と比べて「知識人口」とそれに伴う「健康意識の高い人々の人口」の高さの所為で、ジムやらヨガなどに日常的に通う「エクササイズ人口」もまた高い街であり、更に心の問題を早期解決するのに役立つ精神科医やセラピストと呼ばれる専門家の数もまた多い街であるので、ここでは「大いなるデブ」は存在し難い構造になっている。 つまり、「デブ」は心の問題など自力でコントロールや解決が可能な問題なのに対し、「禿げ」は自力でコントロール可能な範疇が大変狭い問題であるから、中々その当人を責められない。 尤も、もしワタシが「禿げ人」と親しい間柄だったとしたら、即座にシャンプーなどの有害化学物質入りの洗剤の使用を止め、純石鹸を用いて洗髪・頭する事をお薦めするのだが。 そうこう言っているうちに、雷雨発生。 大急ぎで彼方此方の窓を閉めたので、室温がまた上昇する。
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