せらび c'est la vie |目次|昨日|翌日|
みぃ
先日の日記でも少し書いた例のトロいオトコノコが、やっぱりトロかった、という話を先ず。 まあ、若者が経験不足なのは彼らの所為ではない、という点に付いては、ワタシも認める。 しかしワタシにはそういう若者を調教する趣味は無いし、彼らは彼らに見合った人々と付き合って経験を積んでゆけば良いと思う。何もワタシにそんな手間を求めなくとも良いのでは、という事である。 つまり、先日出会った例の若者は、ワタシがいずれまたお会い出来るといいですね、と極々慣例的に書いた返事にまともに反応して、では何時なら会えるのかと日に度々メールを寄こしたのである。 すっかり面倒になってしまったので、ワタシは幾つかのメールを読むなり破棄して、返答を怠っていた。 そしたら前に送ったメッセージは読んだのか、どれくらい頻繁にメールのチェックをするのか、何時なら会えるのか、などなど、相次いで質問を寄こしたので、お姉さんとうとう切れてしまいましたよ。 仕事の邪魔をするな。 ワタシはメールやインターネットを多用した生活をしているので、メールのチェックはそれなりの頻度でやる。 しかし一日中暇を持て余している訳ではないので、優先順位の高いものから順に返事を書いていく訳であって、(ついこの間出会ったばかりの、しかも特に接点も見出せずに世間話をした程度に過ぎない)貴方がわんさと送ってくるメールに、逐一返事など出して居られないのである。 そういった事情を、一寸は解せ。 という様な事を書いて送ってやったら、それきりになりましたよ。ああ良かった。これでお互い誤解は無くなっただろう。一件落着。 ところで、先日来中国本土では「反日デモンストレーション」というのが勢いを増しているそうで、ワタシも思わず上海に居る友人にメールを打って、安否確認をしたところである。 (ね、こういうメールの方が、ワタシには優先順位が高いのだ、若者よ。) 友人曰く、上海という街は、もはや「中国ではない」らしい。 そういえば、紐育という街も亜米利加ではないと言われるけれども、同様の事態が上海でも起こっているのだろうと想像する。 上海も紐育も、それぞれ独立国にしてしまえばいいのに。 ワタシは実際中国という国には未だ出掛けた事が無いのだけれど、ワタシの住む街には多くの中国系移民が住んでいて、彼ら独自の集落を形成しているので、彼らには日常的によく出くわす。 また、ワタシの育った街にも彼らの大きなコミュニティがあって、例えば散歩の序でに角の店で「肉饅頭」をひとつ買って、それを頬張りながら徘徊する、というような事をよくやっていたので、個人的には彼らの存在は「ご近所さん」という感覚である。 なので、遠い海の向こうで起こっている両国間の問題は、文字通り「遠くの出来事」という風にしか想像が付かないのだけれど、それにしても今回の件では驚いた。日本の国際連合における安全保障理事会の常任理事国入りを擁護する「総長発言」の直後に勃発した事からすると、恐らく彼らは、日本が国際舞台で認められる存在になるのが疎ましいのだろう。 聞くところによると、中国の若者の多くは、日本政府が近隣諸国に戦時中の不届きな行為を詫びたり、保障の意味で開発援助や円借款などをしてきた事に付いて、どうやら知らないか都合良く忘れてしまっているようである。それこそ「教科書問題」(正確には教育問題または情報統制問題)と言って良いかも知れないと思う。 更に聞けば、近年の経済発展に伴い、地方から都市への労働力の流出が激しいそうで、そこへ持って来て、お上の手下である公務員の職権乱用や汚職が相次いでいて、人々の間に不満が溜まっているという。 様子を見ていると、どうもこの後者のお上に対する長年蓄積された不満というのと、貧乏生活に対する不満や将来への不安などが原動力になった暴動ではないかという気がしてくる。丁度タイミングよく「総長発言」があり、そしてその頃政府が言論統制を意図的に緩め、また特別な暴徒抑制策を取らなかったという点からすると、中国政府の陰謀か?と勘繰りたくもなる。 そういえばワタシは数年前、ワタシの一寸左がかった父という人に、日本国はそろそろ一連の対中経済援助を止めた方が良いと思うと言った事がある。 何しろその使い道は、知らぬ間に弾道ミサイルだかロケット開発だかに費やされ、またご覧のような軍事費連年大拡大という有様で、それが近い将来日本に対して使われない事を祈るのみであるけれども、その癖日本は過去の不始末について一向に謝らないなどと有らぬ事を言われ続けていては、面目も立たないでは無いか、というのがワタシの主張であった。 ところが彼は、金ではない別の方法で何とか援助は続けていかなければ、という主旨の事を言ったので、ワタシは吃驚した。日本に住んでいると、日本がかの国からどれだけ舐められているか、という事が見えないのだろうか、と思った。 ワタシの父という人は、その昔「ある種」の文学青年であったので、ワタシも多少その影響を受けてはいるのだけれども、それにしてもかの国の仕業は、一寸許しがたいものがある。神社にお参りにばかり行っている右寄り首相も困ったものだが、しかしかの国の援助金の使い方は、今に始まった事ではない。 この度の騒ぎを見るにつれ、これは恐ろしい事になったと縮み上がっているのは、ワタシだけではあるまい。 余所の国では、ここのところ首脳選挙に絡んだ反対デモンストレーションなどがよく見られるし、その群集が暴徒化するという事も間々ある訳だが、それが中国という中央権力の人民統制が甚だしく強い国で(つまり非民主主義・全体主義国で)、しかも複数の都市でそれが行われているという事態は、名目上民主主義を貫いている国に住んでいる身としては、大変恐ろしい出来事である。 抑圧された人民の不満が、いずれ中央政府に対して爆発する日が、そう遠くないと思わせる出来事でもある。 天安門再び。どこへ行くのか、中国。 それにしても、情報統制によっていつどんな外交的大事件が起ころうとも、何も知らされない中国人民。四月十三日付けの 朝日の社説でも述べているけれど、本当に何とかならないものだろうか。 尤も、あちらばかりを責めて居る場合では無くて、国内でこれだけの右傾化を招いている二ホンジンにも、ワタシはぞっとするばかりである。右寄り政治家を首相とならしめ、これだけの外交的損失を招いて来た責任を充分に問わずに、未だにその位置に座らせている二ホンジンにこそ、この機会によくよく考えてみるが良いと言わざるを得ない。
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