せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年01月31日(月) 困難に際して一寸スピリチュアルになる

このところの懸案の課題は、努力に反して全く終わる目途が立たず、週明けに持ち越して唸りながら奮闘中。余りに進まなさ過ぎて、泣くにも泣けず、暫し呆気に取られる。


この日記のジャンルを特に決めていなかったのだけれど、今回から「静かな日常」というのにしてみた。これだけ日々愚痴を溢したり不満を吐き溜めて居る癖に、今更普通の振りをして何処が「静かな」のだと思われる読者もあるかも知れないが、それ以外に適当なジャンルが思い当たらなかったので、致し方無いのである。


ところで前から思っていた事なのだけれど、例の大規模地震と大津波の惨事を目にした日本の都市部湾岸高層住宅にお住まいの皆さんは、自分たちの身に起こりうる将来について一体どのように考えているのだろうかと、ふと思う。

確か日本の太平洋沿岸には、珊瑚礁群とかいうような自然の防波堤は無かったような気がするので、津波対策としては防波堤にテトラポットが精々といったところではないかと思うのだけれど、あの帰国する度に増殖している何やら薄気味の悪い灰色の高層ビルたちは、そういった自然災害に耐えられるのだろうか。もしや住民の皆さんは、日本の技術は最新だからなどといった神話を鵜呑みにして安心し切っていやしないだろうね、などと訝ってみる。

いや、もしそうなったら、高層ビルどころか、昔からある一戸建てだとか長屋だとかアパートだとか、そういう全てが飲み込まれてしまうのだろうから、もうそんな事になったらお仕舞いだろう。

そうなると、もう何処に住んでいようがどんな建物に住んでいようが、知ったこっちゃ無い。どんなに愛着のある物を幾つも持っていようが、はたまたいつも奇麗に家中整理整頓などしていようが、全く無関係である。

地震にしろ津波にしろ、きれいな物も汚いものも、大事な物もどうでも良い物も、一律に、一切合財さらっていってしまうものである。そういうところは、人生は極めて公平。



どうやら随分切羽詰っているらしく、昨夜眠りの途中ではっと目が覚めて、思わず彼是考え出してしまったけれど、結局のところ、人生とは自分が後悔するかしないかという事に尽きるのではないかと思う。

例えばワタシはこれまでの過去十数年間について、何だか随分人生の無駄をし尽くして来てしまったようだなどと考える事が多いけれど、それはそういう選択をした所以では全く無くて、それなりに出来る限りの努力をして、時には熟慮の余裕すらもないところを、兎に角精一杯出来る事をやって来た結果に過ぎないのである。

ただ後で思い起こして、または冥土への旅に発つ時に、自分なりに精一杯やって来たと思えないような事があれば、それは後悔となっていつまでもいつまでも悔やまれる訳で、そうなると浮かばれないで地縛霊にでもなるしか無い。

ワタシは輪廻転生をある程度信じているので、浮かばれない魂というのは次の世代でも継承されてカルマとなって、更に苦悩を強いられる羽目になるような気がするので、出来ればそういった精神上の諸問題というのは、その世代で克服し解決してから行った方が良いと思う。

だから、今世での諸問題については、出来るだけ自分の中で納得が行くように、それなりに出来る事を精一杯やるように取り計らうのが良いと思うのである。


それに、そうやって自分の中で納得が行かないで、後悔や恨み事や責め事などをふんだんに持っている人というのは、見ていて不幸せそうなのが、容貌を見てすぐ分かる。ワタシの所属団体のオフィスで秘書をしている男も、日頃から文句や八つ当たりが絶えないものだからここ数年ですっかり人相が変わってきてしまって、何やら気の毒ではある。

しかしそういうワタシもここ数年文句ばかりで、確かに恨めしい事も沢山あったし、そういう諸般の苦悩を背負っているような人相になってしまっていたらどうしようなどと、ふと思うにつれ空恐ろしくなる。

だから、結局のところは、それらをどう自分の中で処理するかという点が重要になってくるのだろう。他人が聞いて、それはおかしいとか人間が小さいとかいうような事を言うかも知れないけれど、自分の中で決着が付くのなら、それはそれで充分なのである。


無念な事は沢山あった。中には、例えば本来やる気があるから其処へやって来たはずの者たちが、実際には「ずる」に「ずる」を重ねて何とか関門を潜り抜け、平然と優等生の顔をしているのを目撃した。

あのモラルの低さには愕然として、お陰でワタシはこの業界に対する信仰のようなもの、拠り所にしていた心の支えのようなものをすっかり打ち崩されてしまったから、それがワタシの今のやる気の無さに大いに反映されている。

また時には、自分を本来以上に大きく見せたいと思う心の不安定な者たちが、自分と同程度かそれより弱そうな者を捕まえては、執拗に揚げ足取りを繰り返し、上からの評価をかっさらおうとするのも目撃した。

これは上に立つ者の資質にも問題があるけれど、どうやらそれなりに巧くいったようだから、そうするとそういう競争をする心の準備が出来ていなかったワタシなどは、正直そういう場に相応しくなかったのだろうと思う。ワタシはここへは来るべきでなかった。

そういう事の為に来たのでは無かったのだから、そもそも戦う意思が無いのは致し方無い。しかしそういうルールである以上、それに乗っ取ってやらなければいけないのだから、乗りたくなければそのゲームから外れなければならないだろう。

また、他の者にはあるのに自分には無いものを嘆いて、長らく過ごしても来た。これは相当厄介な事である。

今のところワタシは、さてはこれが無くてもワタシの資質があれば何とか人生を渡っていける程度のものであろうという風に理解して、死んだばあさんが恐らく何処かで、それを持たないワタシを守り引っ張り上げてくれるものと思う事にしている。

無いものを幾ら羨んでも手に入らないらしいと分かったから、無ければ無いでも用は足りるから手に入らないのだろうと思う。

または、ワタシにはそれが無くても自力で解決出来る力が備わっているから、神様だか仏様だかアラー様だか何様だかが、それをワタシにわざわざ与えなかったのだろうと思う訳である。


災害から課題の遅れから、すっかり厭世的になってしまっているけれど、そう言う程悲観して居る訳ではなくて、一応はこれをどうやって乗り切ろうかという事を考えているのである。煩わしい諸事を払い除けながら、さてどうしたものかと暫し悩む。


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