毎日がeveryday日記
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僕は大学に入って初めてメッセの存在を知った。それまでまったく知らなかったので、初めて使った頃はかなり驚きのアイテムだったけれども、今ではほぼ一日中つけっぱなしにして、もう生活の一部となっている。
メッセというのは、自分がアドレスを知っている人のうち、誰がパソコンをつけていてメッセにつないでいる状態(オンライン)か、はたまた今パソコンにはつないでない(オフライン)のか、一目で認識できる。お互いメッセにつないでいれば、会話することができる。しかし僕はこの新しいツールを愛用しながらも、一方では胸に何か痞えてしまったかのような不自然さをどうしても感じてしまう。
ひとつ。オンラインの状態になっている人々は、いわば同じ部屋に放り込まれたようなもので、部屋にいる人は自分とは知り合いである。不特定多数ではない。それなのに、自分は特定の人物にしか話しかけなかったり、その場にいる全員に話しかけるということは全くといっていいほどしない。知りあいであるにもかかわらず、目的の人物以外は完全に無視してしまうのである。さらに言えば、話しかける以前は自分以外の人が何をしているのかまったくわからない。 もうひとつ。その部屋の中で、仮に自分が誰かと話していたときに突然はなしかけられたら?このメッセという部屋ではそれに対しなぜか応答できてしまう。多少なり反応は鈍くなるかもしれないが、現実世界よりはきちんと対応できてしまう。 さらにひとつ。その会話はなぜか切れない。ただとりとめも無く会話が続いていく。会話をきるタイミングが全く見当たらない。それでも無理やり切ると、相手にかなり申し訳なく感じてしまう。
3つあげてみた。実際に教室に入ってクラスメートと話す場面と対比してみると、メッセの奇妙さが伝わると思う。
普段僕らは耳で、口でコミュニケーションする。その身体的ツールは非常にルーズで注意もよそへ向きがち。そうして集中が切れると対人コミュニケーションはうまくいかなくなる。一方、メッセのコミュニケーションは非常に一直線でなかなか止まれない。しかも伝達媒体は耳でも口でもない。あくまで文字による接触がなされるわけだ。さらに言うとそこに他の知り合いからの介入はない。あくまで二個人間でのやりとりなわけだ。
たくさんの知り合いを切り捨ててしまっている。そういう思いが僕にひっかかっているのかもしれない。だからほかのコミュニケーションツールを消去してしまうことには賛成できない。
かりに。 対面が政治家的、電話がスパイ的で、携帯が飛脚的であるとすると、メッセはコンサルタント的なコミュニケーションツールであるのかなと。思う。
いかひこ
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