毎日がeveryday日記
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2004年10月27日(水) 意識と身体と視線

人間にとって一番遠い存在であるのが自分自身の体だそうです。自分の意識からは主観的に身体というものを捉えることはできないらしく、どうしても社会の目が自分の意識に潜在してしまうし、他人の目に映っている自分の姿を見るほかないんですね。そこに「見られている」、という意識があるわけです。これは別に否定すべきことでもないし、今の文化はこの視線が作っている(刺青やピアスなどもろもろ)ともいえるので、この他者的視線とは共存していかなくてはならないのですよ。

誰から見ても太ってないのに、「太ってる」と信じ込んでダイエットに走る、というのは、一見すると盲目的に「自分は太っている」と信じているように見えますが、実際には「やせているほうが好ましい」という社会的通年が脳内を支配しているんだそうです。

今日こんなことを小論の授業でやりました。

以下考察。
とすると、身体的思い込みが激しくて部屋に引きこもる人ってのはあまりにも社会的すぎる人間なのでしょうか。社会的視線が強すぎるってことでしょう?
そういった人が、そのコンプレックスを何らかの形で解決し、満足しえたときには、彼らをそれまでとどめていた社会の視線のタガは外れてしまうでしょう。そのとき彼らは自由を謳歌し、そして・・・暴走するのでは?


いかひこ

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