以前にも書いたけど日記読み日記って苦手なんだ。
日記を読ませてもらってもちろんいろいろ思うことはある。 大丈夫かなあと心配してみたりよかったねって思ったり。 それはちょっと違うんじゃないって思うこともあるしそうそうって思わずうなずいてしまうこともある。 でもいつも基本的には読み逃げなんだ。 自分からは滅多にメールも書き込みもしない。 1度失敗したことあってそれがちょっとトラウマのようになっているんだ。 文章力がないから自分の気持ちを相手に正確に伝えられる自信がないんだな。
チャボさん3月21日日記 俺が傷つけるコトを目的として書いていなくとも、自分を傷つけられたとして、この日記を読むことを辞めた人を、少なくとも俺は1人知っている。 その人は、わざわざ俺に《もう読みません》と宣誓してくれた。 俺も経験あるけどこういうのって凹むよね。 実際に顔をあわせて話すなら相手がむっとした時点で「そういう意味じゃないんだよ。」「そうか。」ですむところが言葉だけの世界だとどんどんこじれてしまう。 誤解は誤解なんだからとけるものならといたほうがいい。 でもそれには気の遠くなるような根気がいる。 「日記読み日記」はこういうトラブルが多く発生しそうだよね?
チャボさん3月19日日記 気遣いすぎるとロクなモノが書けないけれど、それでもロクな人間でありたいと思うなら、周りのことなど一切気にせず、己の衝動に導かれるままに書くしかない――言うしかない。 確かにいろいろ考えると何も書けなくなる。 今の俺はそんな感じ。 人間が100人いれば100通りの考え方がある。 そのみんなに受け入れられるようなものは書けないしたとえ書けたとしてもおもしろくないものになるような気がする。 でも衝動に導かれるままに書くのもリスクは大きいよね?
チャボさん3月14日の日記 他人事でもイライラできるってのは、ある意味、スゴい才能なのかもしれないけどー。 ‥‥要らない、こんな才能orz これはすっごい共感した。 俺も同じ。 イライラしても意味ないからいらない、こんな才能。 ただ真正面から受け止めてなんとかしてあげようと努力するチャボさんと違って俺は基本的に何もしない卑怯者。
同じくチャボさん3月19日日記 俺は、誰も気遣わない。 本当かな? チャボさんという人は自分のことより他人のことをまず考える人だ。 それって立派な気遣いだと思うよ。 だから自分では気遣っていないように思っているだけなんじゃないかな?
時々チャボさんの日記読んでて心配になる。 こんなに他人のことばっかり考えてこの人大丈夫なのかなぁって。 その度にメールしようかなぁとか思うんだけど何も行動を起こさない俺はやっぱり卑怯者だね。
相手に嫌な思いをさせないよう何も言わないというのだけが気遣いじゃないと思うんだ。 相手の立場にたって物事を考えてあげるあるいは相手のことを自分のことのように考えてあげるのが気遣いなんじゃないかな?
ただ優しい態度や言葉を並べる人間が優しい人間じゃない。 それは優しいふりをしている人間なんだ。 相手が本当に困った時に手をさしのべて助けてあげようとする人間が優しい人間って言うんだよ。 チャボさんみたいにね。
チャボさんの日記の表現は時々過激だ。 いきなり読んだら「何、これ?」って思う人もいると思う。 本人はそれでよしとしているみたいだけど結構トラブルも発生しそうで見ていて心配にはなるなぁ。 「相手を傷つけても書く。」みたいに言っているけど心の中では誰よりも人を傷つけるのが嫌いな人のように見えるんだよね。 俺の思い過ごしかな?
とここまでは肯定一方なんだけど・・・ 俺とチャボさんには違いもある。 どちらがいいとは言えないけどね。 チャボさんは相手のためになるなら(あるいは相手を助けるためなら)自分の思ったことはつつみ隠さず進言するというスタンスだ。 そうだよね? 俺は違う。 本当のことを言ったから相手が助かるというものではない。 正論だから何を言ってもいいと言うものでもない。 チャボさんは気持ちが若くて俺は年をとっているのかもしれないね。
ついでに言えば俺は人間不信っていうほどたいそうなものじゃないけど、基本的に他人は信用していない。 友達には「えっ、こんなこと?俺なんかに話していいの?」っていうようなことまで相談されるけど自分から相談したことは一度もない。 何も期待していないから何があっても何をされてもさらっと受け流せる。 これは俺の処世術のようなもの。
でもね、チャボさんみたいな人がいると思うと嬉しくなる。 嬉しくなるのは人間を信じたいって心の奥底では思っているからなんだろうな、きっと。
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