ちょっくれいとぼっくす
めにゅ|ばっく|ごぅ
暗い話をまたふたつばかり聞いた。
ひとつは小児癌で入院していたHくんが亡くなったと聞いたこと。
Hくんはわたしとは縁もゆかりもある訳じゃないけれど 主婦友のTさんところの達也くんが入院した病院で同室だった。
達也くんは今は高2だけれど3歳の時から知っている。 その達也くんがリンパ性の癌で入院したのは わたしが一回目の手術でちょうど入院していた3年前。
わたしが退院してからもしばらく入院していて わたしの家から入院している国立病院が歩いて20分ほどの散歩によい距離と言うのもあって 退院してからお散歩ついでにお見舞いにちょくちょくと顔を出していた。
その時に達也くんは中学2年で一学年上だったHくんは中学3年生。 ひょろりと背が高くすごく細身だったHくんは 敬語を上手に話す大人っぽいところもあるわりには よく病室に顔をだすわたしにも人懐っこく話しかける子どもっぽさもあった。
Hくんの家は豊橋にあって豊橋の病院に入院しているんだけれど 容態が悪くなったりとか、手術の時には国立に来て入院していたらしい。 つまりは国立と豊橋の病院を行ったり来たりしていた訳だ。
そんな訳で国立病院では週末以外はほとんど一人だった。 もちろん看護婦さんや医師がいて24時間体制で看護してくれるし 別に不自由することはないんだろうけど敬語がうまい理由がわかる気がした。
つまりは わたしがHくんを見たのはお見舞いに行っていた2ヶ月ほどだけで 達也くんは中3の夏休み前にめでたく退院して 今は高校に通い、マクドナルドでバイトまでしている。
Hくんはその後も転移でなんども手術を重ね どんどん細くなり、立つこともままならなくなってしまったらしい。 車椅子生活になり「メイク・ア・ウィッシュ」のおかげで 加藤晴彦さんから映画「AIKI」に使った車椅子を贈ってもらった。 その時に加藤さんから「合気道もやってみてくださいね」と胴着をいただいたが 結局はそんな機会もないままなくなってしまった。
亡くなる一週間前に国立病院で 「今を逃したらもう家に帰れないでしょう。」と言われ 寝台タクシーで豊橋の家に帰ったらしい。
「最後を家で看取ることができてよかった。」 ってHくんのお母さんが言ってたよとTさん。
Hくんの母親はわたしとそれほど歳が変わらない。 うちと同じ小4の女の子と中3の男の子がいるらしい。 彼女も5年間ずっとHくんと一緒に闘病生活を頑張ってきたんだろうな。
ある日いきなり家族の誰かが重い病気だと言われ生活が一変する。 決して他人事なんかじゃない。
もう一つは一本目の手術で一緒に入院していた鈴木さんのこと。
彼女は去年の1月に反対側の足も同じように手術をしたんだけど 一本目に比べて調子が悪いと一年たってもまだ足を引きずっていた。 「体重が重いからかしらん。」と笑っていたのだが 実は骨董の部分が壊死していたらしいのだ。
「もう人口関節にするしかないみたい。」
と彼女が言ってたらしい。
これも他人事じゃないな。
|