Rei's column
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2004年06月06日(日) 求めるもの

人の感覚って恐ろしいものです。

私は22、3の頃にバイクにハマッて走り始めて
続けて車にハマりました。
最初はスピードなんて求めなかったのに
もう、本当に、麻薬中毒のようにスピードのトリコになって。

時間もお金も
すべてをつぎ込んでも何も得るものの無い世界にハマり
上手に走りたいとか誰かとバトルして勝ちたいとか
そういうことには一切興味がなく
ただひたすら、自分の頭が真っ白になる狂気の瞬間に痺れていました。

「狂っている」という表現がまさにぴったり。

ほどなくGTRに乗る同じ年代の女友達に出会い
今度はそのコのナビ(助手席)で馬鹿げた行為のためにガソリンとタイヤをすり減らし続けました。

過激に、より過激に・・

ついこの間まであんなに刺激的だった速度域がもうあたりまえになる。もっともっと・・もっと刺激をって。

パワーを上げる。他の部品が悲鳴を上げる。
どこかを強化すればどこかが足りない。
求めているものにはどうしても辿り着けない。

・・身体的な刺激と精神的な陶酔を求めて
どんどんプレイがエスカレートするのに似ているんじゃないかと思います。

死ぬということが恐ろしくなかったわけでは決してありません。
死ぬ確立の高い行為を繰り返しながら死なないためのルール探しにもいつも真剣でした。
でも止められない。
その一瞬、脳味噌が耳から毀れていくような痺れるくらいの感覚。
・・もっと、もっとと。

行き着くことなど所詮出来はしないのです。
あっというまに感覚は慣れて非現実はこなれた現実に姿を変える。
最初の刺激が長続きしない。

・・いつか飽きる日がくるのかなあ、と漠然と考えていました。


変わったのはいつの頃からでしょうか。
2人とも行き着くところまで行き着くことなんて出来ないとわかってもう飽きるのかと思いきや
「最近ね〜 車がまた、好きになったよ〜(友人談)」

速く走るためのツールでしかないと思っていた車やバイク。

「さんざ乗り倒して気がついたんだけどGTRっていい車だね〜。Rが好きになったら走るのがまた楽しくなった」

わかるかな。それ、なんとなくだけど。
車は人ではないけれど「惚れる」感覚というのはやっぱりあるみたいで・・

コイツと、って思えたりすることもあります。

その車がもともと持って生まれた特性や欠点
それを認識した上で車と一体感を持つっていうのかなあ・・
気持ちよく走りたいっておもいはじめると
速さ云々だけの世界ではなくなってくるから不思議。


ゆっくり流していてもそれはそれで楽しい。


・・・SMにも、そういう事ってありませんかね?

相手のことがわかればわかるほど「何をしたか」よりも「何を感じられたか」が大事になっていくし
わかったつもりでいた相手に知らない一面が見えた時の意外性も新鮮です。

要は、「誰と世界を構築するか」であって「何をするか」ではない・・

そういう感性を共有できることが私の「求めるもの」のような気がします。


Rei


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