------------ きまぐれ日記。------------
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2004年09月23日(木) 年下。
14歳のコの書いた言葉に、純粋過ぎて何も言えなかった。言葉が突き刺さる様に痛かった。

正し過ぎる素直な感情の言葉は、私が作り出す感情論が屈折してると教えてくれて。
子供の純粋さは時に、大人にとっては凶器になってしまうのかも。

『貴女と接してきて考えさせられる事が多かった。答えを出せずに苦しんだけど、楽しかった』
――と、私に言った教員の気持ちが少し分かった気がしました。。

純粋な感情に触れた後って、凄く色々考える。
自分がどれだけ物事に対して、フィルターをかけて見るようになったのか良く分かりました。

感情と思考と理屈と理論とモラルと常識を数式化の様にして、出た答えを言葉で放つ。
それを無意識にしてる時点で既に、純粋じゃなくなってるんだな、、なんて気付いたりして。

相手がどう思おうが、自分の言葉で自分の感情を放つ。良い意味でも悪い意味でも、素直な事(行為)。
大人が人間関係でそうしてしまったら、それは人格を疑われるような事だろうけど、子供はそれで良い。

大人は『気遣い』だとフィルターをかけて、相手を傷付けない様に自分が傷付かないように、
そう保守的になりながら人に距離を作って、それを保って、人間関係を築く。
それは、大人の世界では正しい事なのかもしれない。だけど、子供の世界からすると、卑怯な事なのかも。
フィルターをかけた言葉を、綺麗事や、偽りだと言われてしまえば、その通りだと思うし、何も言えなくて…正直なトコロ、戸惑うだけ。


一言一言に、ハッとさせられるのが多くて、聞いてると心が洗われる様な感覚になったり、
それと同時に、14歳のコを少し尊敬してしまったり、無性に好いなと思ってしまったり、
年下からは学ぶモノが無いと接するのを避けていましたが、ある程度の年齢が離れている年下というのは、
世界が正反対だからこそ、知りたいと思うし、危なっかしさが逆に愛しくなるモノなんでしょうか…?。。

なんていうか、新鮮味(?)が凄くあって良い。接してると良い意味で、心が開放される。
小学生に対しては未だ、子供らしい可愛さと生意気さしか感じませんが、14歳くらいのコは、良いなと思いました。不覚。


んー、、14歳のコの心の中はクリアで綺麗なのに、それだけでなく、透明な刃が潜んでいるような気がしました。
素直過ぎる事は残酷な事って、誰かに言われたけど、強ち間違っていない気もしました。
(あ!マッキーも歌ってるじゃない?!)


14〜17は、自我と自立の目覚めからか、心が不安定になる時期だと思う。
だから急に攻撃的になったかと思えば、純粋すぎるトコロもあって。
接してて内面が、アンバランスに感じて。

だけど、私にはそのアンバランスさが逆に心地良かったりもして、不思議でした。



…14歳に戻りたい。


ピヨコ