Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 植村直己に関する驚くべき記述
2005年08月16日(火)

 昨日のVoiceで、30件のニュースをピックアップする際、各ニュースの年代をネットで調べていたのですが、その中の植村直己に関する情報を調べていたところ、驚くべき記述を発見しました。

 植村直己と言えば、日本でもっとも有名な冒険家ですね。彼は1941年2月12日、兵庫県城崎郡日高町(現在の豊岡市)に生まれました。1965年のゴジュンバ・カン登頂を皮切りに登山に傾倒するようになり、1966年マッターホルン単独登頂、同年キリマンジャロ単独登頂、1968年アコンカグア単独登頂、1970年には日本人で初めてとなるエベレスト登頂、1971年グランド・ジョラス北壁完登、1976年には年エルブルスに登頂し、これで五大陸最高峰を制覇します。
 その後登山から単独冒険に傾倒し始め、1978年に世界初となる単独犬ぞりでの北極点到達、さらに単独犬ぞりでのグリーンランド縦断を達成し、1984年には43歳の誕生日だった2月12日に、アラスカ・マッキンリーの厳冬期単独登頂を世界で初めて成功させます。しかし、翌2月13日連絡がとれなくなり、植村直己はそのまま消息を絶ってしまいました。明治大学山岳部によって2度の捜索が行なわれましたが、彼が発見されることはありませんでした。

 さて、ここまでの略歴は皆さんもよく知っているものですよね。植村直己の遺体が発見されなかったために、これまで彼の生死は不明とされてきましたが、彼が消息を絶った年に明治大学山岳部による捜索隊が編成され、3月に5200mの雪洞で彼の大量の遺品が発見されました。それらはどれも雪山で生存するには不可欠なものばかりで、それがすべて残されていたことで、植村直己の生存は絶望的となってしまいました。しかし、公子夫人を始め多くの植村直己ファンは、きっと彼はどこかで今も生きているに違いないとずっと信じてきたことでしょう。そしてもし本当にそうだったらどんなに素敵なことだろうと思ってきたに違いありません。

 ところが、冒頭で述べましたが、この植村直己に関することで、思わず目を疑ってしまうような記述が、ある世界的に信頼性のあるサイトに書かれていたのです。ただし、この記述に関して他の関連サイトや公式サイトを調べてみてもまったく情報が載っておらず、結局この記述はたった1ヶ所でしか発見することができませんでした。なのでこの記述に関する信憑性は現時点では不透明で、現在問い合わせ中なのでご了承ください。
 さて、その驚くべき記述とは、あるサイトで植村直己の来歴を紹介する文章の中の、一番最後に書かれていた一文です。


「2004年2月8日、植村直己とされる遺体が発見された。」


 この記述に関する詳しい情報はまったく書かれていません。誰によって、どのような経緯で発見されたのかということもわかりません。しかしこれが事実なら、日本でもかなり大々的にニュースで取り上げられてもおかしくはないはずなのですが、僕の記憶ではそんな話は一度も聞いたこともなかったし、その当時の新聞を調べてみてもまったくそのことには触れられていませんでした。

 どなたかこの件に関してご存じの方はいらっしゃいませんか?



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