先日偶然テレビをつけたらスタジオパークのゲストが篠井英介さんでした。 現代の女形という形で、役者を続けてゆくことについてのお話。
「中学生位から、自分のイメージの広がるのは男のひとの役よりも女のひとの役の方だったので、俳優としての幅が広げられて、そっちの方がおもしろいんじゃないかと思った」 という断固とした思い込み(笑)というか決意から、オファーが今でも男やくより女役が全然少ない中でも、プロディース公演やらなにやらしているとのこと。 「自分で企画して女形しないと需要はないし、忘れられてしまうんだものー」 役者として、男のひとの役をやっていてもある程度の知名度はあるふうであると思うのですが、彼にとってあくまでも本業は、 「現代の女形」 らしい。 その決意と頑固な歩き方によっ、男前っ!と声援を送りたくなりますね。 そんなこと言うと、篠井さんは 「やーだ〜」 とか笑ってお答えになるでしょうが、わかんないけど、なんとなく。←知り合いかよ、るなふ!なれなれしすぎだよ。
実際、あたしがこの方の舞台をずっと観ていたのはん十年位前以上で、あとは最近、気がついた時で時間の余裕のある時だけなのだけど。 十年の隔たりがあってみたあとにも、 決して女顔でもなく、華奢でもないし、声だって女のひとみたいにつくっているわけではないのに、ちゃんと女の人以上に女の人のやるせなさや品格やま、色気やなんかが滲み出ててすごい安心して芝居をみれた気がします。 ライフの女役の皆さんの女と意識して演じてらっしゃらない人間ぽさというのもいいのですが(褒めてますから)。 今回の話で、英輔さんは昔の女優さんの浪花千栄子さんや淡島千景さんや京マチ子さんをみたり研究して作りあげていらっしゃることを話してらして、こうした努力が、さりげない微妙な仕草のひとつひとつにみえ、さりげないからこそ『女』でなく『芝居』をつくりあげていっているのだなあと感動してしまいました。 別に、本当は女役は女のひとがあやって、男役は男の人がやるのがリアリズムなのかもしれないし、不自然でないのかもしれない。 でも、女形として『ここではない、でもこの芝居の中にいる女』を演じている英介さんの芝居をみると、芝居っていうのは役者の一方的な世界の押し売りでなく、想像力と想像力のぶつかり合いであるとあらためて思います。 自分の『女』というものに対する想像力の乏しさに悔しさを覚えることもあります。 そんな芝居をこれからも英介さんに期待してます。
あ、でも、今度見る役は『トーチソング』だからゲイの役なんですよね。 こーいう役は封印していたそうなので、 「女でなく、女っぽい男」 な英介さんという新境地も楽しみだ。
全然話は違うけど、トークの中で加納幸和さんのことを英介さん、「カズくん」って呼んでいたのがちょっと笑いがとまらなかった。 カ、カズくんって!?(爆笑)
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