WHITESTONE
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2008年12月26日(金)

吹雪で道を見失った











威圧感のあるジジイの画像下さい
常々こういうジジイになりたいと思っております。
まず、痩せてないとダメだなぁ。


プレゼントあげたら子供が泣いてしまった…
うちの生徒の中にはサンタにゲームをお願いしたらカルタが来て泣いたってやつがいた


"占領OK"の無防備条例、賛成ゼロで否決…京都・精華町議会
もし可決されてたら僕が占領しに行った






飯島愛さんの死
デヴィ夫人の怖いもの知らずなところが最近心地よいね


もみじマークは高齢者いじめ?罰則全廃、デザイン再検討へ
毎年技能チェックするくらい高齢者の運転はハードルを高くして欲しいと思うのです。高齢者の運転する車に何度も殺されそうになっている僕は言う。
はっきり言うぞ。車は凶器と同じなんだ。


「あ、あの…裏金作らない誓約書出していただけませんか…?」 → 職員30人が”拒否”
え?何で拒否?





7議員、基礎年金の税方式化提言 年金統合、議論に一石
これを早くやってほしい










仕事場向かいのいつも飲みに行くバーが入っているビル。
屋上の看板が強風で吹っ飛んだらしく警察と消防が集結して結構な騒ぎ。
僕は用事があって一度外へ出て、その後仕事場へ戻ろうとしたら警察に止められてしまいました。

僕「仕事場がそっちなんでどうしても行かないと」
若い警官「駄目です。あぶないです。見てください。あれが落ちてきたらどうするんですか!」
僕「いや、でも僕ずっとここにいるわけにもいかないんですけど」
若い警官「駄目です。あぶないです。見てください。あれが落ちてきたらどうするんですか!」
僕「だからぁ、危ないのはわかるけど、僕もここでずっと待ってるわけにもいかないんだぁ。ここを通らないと仕事場に戻れないんだから」
若い警官「・・・・・・・わ、わかりました。僕が付き添います!!」
僕「(命懸けキターーーーーーーー!!)」


ということでやっと仕事場に帰還。
疲れた。












訳すな、頭から読め
何故自分は学生時代英語が読めなかったのか考えてみた
先日の学習指導要領の話と絡めて。
今に限らず学校の英語指導において一番のネックになっているのはレベルの上下幅の大きい集団を一度に教えるという難しさだと思います。
授業を英語で行うとか、英語は頭から解釈するとか、会話中心の授業にするとか、これってどちらかと言うと生徒の能力がかなーり高いという前提が必要となると思うのですね。

僕自身、中学、高校では英語は苦手でした。
で、社会人になってから必死に勉強したわけなのですが、その底辺から今の状態まで駆け上がる道筋で僕なりにわかったことは
英語で行う英語のレッスンはある一定の英語能力がないと意味がない
英語は頭から解釈するという方法はある一定の英語能力がないと意味がない
会話中心の授業はある一定の英語能力がないと意味がない
という点であります。

よく「聞き流しているだけで英語が・・・・」という通販CDやらDVDの広告を見かけますが、残念ながら聞き流しているだけでは力はつきません。
力を伸ばす聞き方は全身全霊を懸けて集中して聞く。これ。

幼い子供が言葉を覚えようとしている時の集中力はスゴイ。
他の人の言うことなど全く耳に入らないくらい集中してます。
よだれも止まりません(笑)

そしてその集中力が持続する上で必要なのが「ある程度の理解」です。
全く何をやっているかもわからないチンプンカンプンな状態で集中力がどれだけ持続するかというともう言うまでもない。
学生なら
わからない、ボーっとする、寝る、さらにわからなくなる、ボーっとする、寝る、の無限ループ。
英語で行う英語の授業はこんな生徒を大量生産する可能性大です。






英語を頭から解釈する。

最終的にはこうなるべき。
それに異論はありません。
ただ、最初からそれを求めていいのかというと・・・
テストだって和訳の問題はあるし、それを頭から解釈したスラッシュリーディング的な訳では得点にしてもらえない現実。
社会に出たって会社で「じゃあその英文を要約して日本語にまとめておいて」って言われて頭から訳した文じゃダメでしょう。
さらに言えば英文を頭から訳せるようになる過程として、文全体を日本語にまとめるという作業は僕は決して無駄な行為ではないと思うのです。
逆にそれがしっかりできてこそ、頭から訳すという行為がスムーズに運ぶのだとも思います。

実際にしっかり和訳をできる生徒はスラッシュリーディングもできるし、和訳できない生徒はスラッシュリーディングもやはり上手くはできないというケースが多いような気がします。






会話中心の授業。

昔から言われていることですが、英会話スクールはアウトプットの場、インプットは自分でという言葉。
会話というものは自分の頭の中に蓄積されたフレーズをその場の状況に合わせて引き出してあげる作業です。
冷蔵庫に食材が入ってないと料理は始まらないのです。
学校の授業は「冷蔵庫に食材を入れる」役割なのか?それとも「冷蔵庫にすでに入っている食材を引っ張り出して料理する」という役割なのか?
僕は前者だと思っています。
そして学校でしっかりと食材を用意した生徒はその食材をふんだんに使って社会に出た後、おいしい料理となる会話を楽しめるのではないかと思います。
それにはまた少しだけ練習は必要でしょうが、社会に出てから食材集めをするよりは遥かに楽に身につけることができるはずです。

再度言いますが僕は中学生、高校生の頃は英語が苦手でした。
それは自分でも理由がわかっています。
「全く勉強しなかったから」

ひとつの言葉を身につけるためにはそれなりの努力が求められます。
学生時代に必死で努力した人ならある程度の会話力はすぐに得られます。
努力してなかった人が「学校の英語は悪」とは言っちゃいけない。
学校の英語は実に得るものが多い。
勉強すればするほどそう感じるようになる。






で、何が結局言いたいのかというと、一部のトップだけを対象にしたような授業内容をやりたいなら、先ずやるべきことが他にあるだろうと。
言語を学ぶ授業で1クラス30〜40人っていうのは狂気。
時々「ウチの学校は英語は少人数だよ」と聞いて「1グループ何人なの?」と聞くと「20人くらい」
うーーー、これでも多いよ。
会話中心にしたいなら1クラス3〜4人がベストなんだぞ。
そこに全く手をつけないで英語で英語の授業なんかやったら結果は目に見えてるぞ。


yun |MAIL

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