鼠小僧白吉のうだうだ日記

2005年09月12日(月) 「バスに乗りおくれるな」

まずぶったまげたのは昨日の夜8時だ。おいらはTBSの久米+筑紫の選挙特番をつけていたのだが、出てきた予想の数字が自民300越の数字。冗談でしょうと思ったが次から次へとでてくる当確速報は自民党の候補ばかりだ。

それから数分後、これはとんでもないことになってるぞと思ったのが、おいらの住む東京5区で自民党・小杉隆さんに当確が出た時。

前回の選挙、東京5区はなかなか当確がでなかった。かなりいい時間になって出たのが、民主党・手塚仁雄さんの当確。その後、日付が変わって少し時間がたってから小杉さんは比例で復活当選を果たした。その前の前の選挙は、小杉さんをはじめとする東京の大物自民党議員が、軒並み落選した。

しかし今回はどうだ! 小杉さんも、与謝野さんも、深谷さんも、そして代は替わったが越智さんもみんな次から次へと当選確実がでていく。分裂選挙の心配があった4区もあっけなく自民公認候補がとった。そして3区、地元では絶対の知名度を誇り、こまめにくまなく選挙区で活動していた民主党・松原仁さんが、まさかまさか2度目の挑戦石原宏高さんに敗れてしまった。(その後松原さんは比例で復活)

民主総崩れ、自民激勝! 次々とでてくる結果をあぜんとした結果でみていた。

まわりのヤツラからおいらをみれば、おいらは「政治」が好きな人間らしい。親しい人間につい最近そういわれた。なぜそんなことを言われたかといえば、ここ数ヶ月、呑んでいい気分になると、「選挙は絶対にいかなくちゃダメだ!」とおいらがあちらこちらで言っていたからだ。と、いうのは、今年春から夏にかけての低い投票率のいくつかの地方選挙を見て、ちょっとやばいゾと思っていたからだ。

投票率が低いということは、ごく一部の人間しか選挙に行っていないということだ。と、いうことは投票に言ったごく一部の人間によって選択された民意によって政治が行なわれる可能性が生じる。つまり、ある思惑をもった集団が、政治を使って何かをしようと思えば、この集団は絶対に選挙へ行くわけで、よって社会全体ではごく少数の集団だったとしても、選挙で投票率がさがることで、その集団票のパーセンテージがあがり、政治が特定の集団の思惑によってうごかされる危険があるのだ。

だから今回の選挙のように、全国一律に投票率があがったこと自体はとてもすばらしいし、良いことだと思う。

しかし、だ。しかしである。

その結果生み出された議会が、大政翼賛会的なものになってしまうとは、いったい日本が60年積み上げてきた戦後民主主義とは果たしてなんだったのだろうか。自民党の一部から、民主党の旧民社党一派に対し合流を呼びかける声があるが、もしこれが本当に実現してしまったら、「バスに乗りおくれるな」という昭和初期の議会制民主主義崩壊の図式とまったく同じではないか。

社会は閉塞感の真っ只中にあった昭和10年代、国民は近衛文麿が結成した新政党に、現状の打破を期待。国民の支持を得るや否や、各政党は「バスに乗りおくれるな」といって、新党の傘下に入っていった。それが大政翼賛会だ。

どんな政策を支持し、どの党に投票するか、それは完全に個人個人の自由だ。それが民主主義だ。
しかし今回投票率があがった分、投票に行った人々が「バスに乗りおくれるな」というだけで、自民党に入れていたのだとしたら、近衛新党結成→大政翼賛会という流れを反省し生まれた戦後民主主義って、いったいなんだったのだろうと思ってしまう。

こうした投票行動をした有権者だけが原因ではない。個人個人を見れば素晴らしい政治家がたくさんいる民主党が、足をひっぱる集団に翻弄され、国民の目を民主党に向けさせることができない、と、いうよりも「民主党は何をやっているのかわからない」という状況を作ってしまっていることが、今回の狂ったような選挙結果を生んだ一番の原因だ。

「みんな」が参加した選挙で出た結果に、あれこれ言うのは野暮かもしれない。しかしこの状況、おいらはとてつもない危機感を感じる。

現野党の議員、これから政治を見守る各マスコミ、その他もろもろくれぐれも「バスに乗りおくれるな」という状態だけにはならないで欲しい。特にペンなり映像なりで報道する権利を持っている方々。こういう時だからこそ、しっかりとした監視の目が必要なのだ。目をしっかりと見開いて、この国で何がおきるかを、見届けなくてはいけないのだ。


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