2004年08月31日(火) |
一度目の自宅出産のこと |
一人目の子ども妊娠したとき、はじめは病院に行きました。しかし、出産に際して、病院ではいい思いをしたことがなく、できれば病院に行くことなく出産を迎えたいと考えていました。一人目の子どもは、札幌の助産所で産まれました。しかし、そこでも、助産婦さんの気質がしっくりこなかったり、陣痛促進剤を使うことになったり、いくつかのなじめない点がありました。 妻は、病院が嫌だったり、助産所にも不満があったりするのはぜいたくなことではないか、と悩んでいました。しかし、どのような出産をしたいか納得がいくまで追及することは、妊婦にとって当然の権利ではないかと思いました。
札幌から地方に引っ越し、そこで、二人目の妊娠がわかったとき、違和感を覚えつつもはじめは他に選択肢が考えられず、一人目を産んだ札幌の助産所に通っていました。そんなとき、近くに自宅出産をした人があると聞きました。そこで、その人に会いに行くことにしました。 その家族は、森の中の道の一番奥にある家に住んでおり、豚を放牧し、鶏を飼い、野菜を作り、山仕事に携わっていました。3歳くらいの子どもがおり、その子がこの家で生まれたということでした。小樽から、助産婦さんに来てもらったのです。そこで、その助産婦さんに会いに行くことにしました。
電話をかけると、7か月になったら、いらっしゃいと言われ、拍子抜けしました。まだ、4か月目でそれまで何もしなくていいとは思っていなかったからです。7か月になって、小樽の最寄の駅で待ち合わせをしました。がたごとと電車に乗って、妻と長女とともに駅に降り立つと、小さなおばあさんが立っていました。 助産婦さんは小樽のマンションに1人で住んでいました。部屋に案内されると、畳の部屋に低いベットがあり、そこで診察が始まりました。木製のじょうごのような形をした道具でおなかの音を聴いたりしてくれました。診察が終わるとお茶をごちそうになり、なんだか、自分の祖母の家に来たような感じでした。 話を聞くと、何と、戦前から助産婦だったそうです。戦前はたいへん忙しく、赤ん坊をとりあげている最中に、産まれそうになっている次の家の人が迎えに来ているような状況だったと言っていました。 そんな診察をくりかえし、臨月を迎えました。 つづく
|