りえるの日記

2007年07月08日(日)

バタイユ「眼球譚」を仏語で読み始めた。
日本語で読んだ時は、腿の付根の奥がぞくぞくする感じはなかったのに
なぜか、仏語で執拗に読むと、官能と哀切感、喪失感を同時に感じた。

夜は、バルト「恋愛のディスクール」を読む。
「若きウェルテルの悩み」を再読したくなる。

お昼はバルト「ミシュレ」
まだ、読み始め。
「生きている石の巨匠(たくみ)」
 (ゴシック建築の石について)
 
これらの石にそうっとさわってみよう。
これらの石の舗石の上を静かに歩いてみよう。 
ある偉大な神秘がここを通りすぎていったのだ。
今、ここで私が目に見えるものは、
もうわずか死だけであり、私は泣きたい気持ちになってくる。
 
石は、芸術家の、燃えるように熱い厳しい手の下で生気を帯び、
霊化されるのだ。芸術家は石の生命を噴き出させるのだ
芸術家は中世において、まさに適切にも「生きている石の巨匠」
と呼ばれたのである。

石。
今度、フランスに行ったら、石に触れてみよう。
神秘を感じる事ができるだろうか。


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