バタイユ「眼球譚」を仏語で読み始めた。 日本語で読んだ時は、腿の付根の奥がぞくぞくする感じはなかったのに なぜか、仏語で執拗に読むと、官能と哀切感、喪失感を同時に感じた。
夜は、バルト「恋愛のディスクール」を読む。 「若きウェルテルの悩み」を再読したくなる。
お昼はバルト「ミシュレ」 まだ、読み始め。 「生きている石の巨匠(たくみ)」 (ゴシック建築の石について) これらの石にそうっとさわってみよう。 これらの石の舗石の上を静かに歩いてみよう。 ある偉大な神秘がここを通りすぎていったのだ。 今、ここで私が目に見えるものは、 もうわずか死だけであり、私は泣きたい気持ちになってくる。 石は、芸術家の、燃えるように熱い厳しい手の下で生気を帯び、 霊化されるのだ。芸術家は石の生命を噴き出させるのだ 芸術家は中世において、まさに適切にも「生きている石の巨匠」 と呼ばれたのである。
石。 今度、フランスに行ったら、石に触れてみよう。 神秘を感じる事ができるだろうか。
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