旧東ドイツのドレスデンに住むレナーテさんと我が家との文通が 始まったのは、45年くらい昔のこと、私がまだ小学生の頃でした。 当時の私にとっては、アメリカやヨーロッパというのは、 ほんとうに遠い存在、そして憧れの国々でした。
手紙を翻訳して読んでくれる父の傍らで、いつも遠い外国の情景を 頭に浮かべながら、ワクワクして聞いていたものでした。
ある時、レナーテさんから送られてきた人形の写真が、 あかずきんちゃんの物語に登場するオオカミに似ていました。 おばあさんに化けたオオカミです。 それを手紙に書いた時、ちょっと驚くような返事がきました。
あなた方は、なぜ、あかずきんの話を知っているのですか? いったい誰からきいたのですか? あかずきんの物語は私達の国のグリム兄弟が書いたものです。 どうして、あなた方は知っているのでしょう。 私達はあなたの国の物語を何ひとつ知りませんよ。
私達があかずきんちゃんの話を知っているということが レナーテさんには不思議で仕方がない、ということが不思議でした。 当時のほとんどの日本の子供は、あかずきんちゃんの話を 知っていましたから。
テレビとステレオの前で撮った写真を送れば 「あなた方は、日本でも相当の上流階級にちがいない」ときました。 (当時、白黒テレビはほとんどの家庭にあった)
私達もまた、当時は社会主義国だった東ドイツという国の生活の一端を 手紙で知り、驚かされることがたくさんありました。
お互いに生活や文化の違いに驚き合いながら文通は続きました。 父が亡くなるまで、ドレスデンと大阪の間を 何度、手紙は行ったり来たりしたでしょう。
手紙だけでなく、着物、下駄、日本人形、ハシなども 船で海を渡りました。
私が高校生の時に父が突然亡くなりました。 ドイツ語とロシア語しかできないレナーテさんとの文通は途絶えました。 もう36年くらい前のことです。
でも、近年復活したのです。 細々と続いてます。レナーテさんももう60代後半。 今でもドレスデンで暮らしています。
私は有料のドイツ語翻訳を頼んでいます。 メールをやり取りする時代が来るなんて、あの頃予想もしなかった。 やはり統一ドイツになった影響も大きいのでしょう。
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