Rocking,
Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?
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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)
*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
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2009年07月11日(土) |
Jubilation |
16時に水道橋でJTと待合せ。の、筈が。 16時5分前に「着いたよ」とメールが来たが、私はまさにその瞬間に家を出た。結局30分遅刻。「想定内」と涼しい顔のJT。つきあい長いからね。って、スミマセンスミマセン。
今日は、16年ぶりにサイモン&ガーファンクルを観るのだよ。 16年前の記憶は印象が薄い。演奏時間50分。内容も、人によっては「ひどかった」と評しているほどで。私自身はあの時、東京ドーム2階スタンド中央最後列から観るS&Gのあまりの遠さが、S&Gという私にとっては神様みたいな人たちの存在に相応しいような気すらしていた。(その1993年12月に書いた文章がこちら。真面目で青臭くていい感じですw)
で、今回は1階スタンド。16年前よりは遥かにいいが、やはり絶望的に遠い。この数年ライヴといえばやたらいい席ばかりで、最前なんか珍しくもなかったから、この状況はちょっとなあ。
と思うところにS&G登場。スクリーンに逆光で黒く影だけが浮かび上がる。のを、見ただけで既に感動。
―――"Old Friend"だよ。こんなシンプルな曲で始めるんだ。凄いな。こんな何気ない短い曲でも、世界中が知ってるもんな。そのまま"Bookends"に行き、次が―――何故か雰囲気で絶対そうだと思ったとおり、"Hazy Shade Of Winter"へ。
声が出るとか、出ないとか。公演前からそこがやたらと問題視されていたが。 正直最初の数曲はそんなことも全く判断出来ず、アホのようにじーんとしていた。だって、"I Am A Rock"やって、次が私のベストソングの"America"だ。この2曲は歌詞なんか小学生で完コピしてんだぞ? "Don't talk of love"だなんて。「愛のことは語らないでくれ」なんて。日本語で言おうが英語で言おうが、かっこ悪いだろうが普通。それを絶対にそうは感じさせない重みが、ポール・サイモンの軽い声とギターにはあった。"I am shielded in my armor"という音は呪文のように魅力的で、とにかく一緒に歌いたかったし、意味も知りたかった。ひたすらそれだけで英語力をつけちゃったようなものだしなあ、私。 "America"の歌詞で、カップル(キャシーとポールなんだろう)はグレイハウンドのバスに乗る。だから私もそれだけの理由で、19歳の時に、サン・ディエゴで一人でグレイハウンドに乗った。キャシーたちが乗車したピッツバーグからはアメリカの端と端ほど離れているが、乗っているという事実だけで感極まっていた。隣に座った黒人にナンパされたが、殆ど返事も出来なかった。涙ぐんでいたのだ。
"Mrs. Robinson"―――後から思えば、私が初めて意識したギターというのは、間違いなくこれだ。ここにある乾いた硬い響き。 小学校に上がる頃には、クラシック・ギター、スパニッシュ・ギター、なめらかなうねりのあるギターや「ブルージー」なギターに生理的嫌悪感を覚え、一時はギターという楽器が嫌いだと思い込んでいたのだが。よくよく振り返ってみれば、それがギターの音だと認識もしない3歳の頃から、私はポール・サイモンのギターにうっとりしていたのだ。
なるほど声は出ていないな、というのは否応なしにわかってきた。やはり特にアートだ。だが。 キーを低くしている。ちょっとずつ歌い方を変えている。歌唱力の落ちたシンガーが大抵やるようなメロディのごまかし方(要するにロバプラ方式)は絶対にせず、ただ、息の乗せ方や声の伸ばし方を変えて工夫している。そして、スタジオ盤を心を込めて再現している。―――この点は、バックの音作りにおいてもそうで、アレンジはするが、オーディエンスの一番欲しいものは全て欠かさない態度は、良心と呼びたいほどだ。 要するに、素晴らしい。芸術ではなく、受け手を必要としない孤高の芸術などではなく、まるで、「愛情」のようだ。
ちなみに音響も。この最低最悪の東京ドームで、かつてないほど音が良かった。
ソロのコーナーになる。まずはアートが3曲歌ったのだが。1曲目が思ったとおり"Bright Eyes"だ。なんで思ったとおりかって? アートのソロはこれしか知らないんだもの。結構好きだったからサビくらいは歌詞も知っている。懐かしいのなんの。普通にスタジオ盤で聴いたら編曲が甘ったる過ぎるが、こうやってライヴで聴くと、何ていうかこのドームのだだっ広さに拡散していく感じが悪くない。 しかしアート3曲は長過ぎます。と、およそ5万人が思ったであろう頃に、ポールが登場し、バンドを率いて"Graceland"から最初の2曲をやる。・・・これはちょっと、アートとポールの差が浮き彫りになり過ぎるんじゃあと思うほど、場内に活気が戻る。
"My Litte Town"―――いいなあいいなあいいなあ。この歌のサビの歌詞は長いこと聞き取れなかった。だってまさか"Nothing but the dead and dying, back in my little town."と言っているなんて思わなかったからだ。こんな美しい明るいメロディで。てっきり故郷を愛する歌だと思っていたから。でもそうだと知った時は、逆に「逃れられない郷愁」を感じてじーんときたなあ。今もじーんと来るなあ。うん。うん。
"Bridge Over Troubled Water"―――私はずっとこの曲が好きじゃなかった。後味がしつこ過ぎると思っていたのだ。ところが今回、2番をポールが歌った。そうなると、もともと3番では二人の声が重なるのはわかっているだけに、その瞬間にもうぞくぞく来てしまった。
アンコール。"The Sound Of Silence"―――ここまでずっと、声を出さずに一緒に歌ってきたが。これだけは無理です。勿論歌詞は冠詞ひとつまで頭に入っているけど。これを歌うと泣いちまうのです。普段でも。 ―――つうか、泣いちまいました。 一ヶ所だけ一緒に口を動かす。ラスト直前。"And the signs said, the words of the prophets are written on the subway walls and tenement halls." ―――多分、子供心に私の中の「神さま」というもののイメージが、ここで出来上がったんだと思う。どこかそこらに、そのへんにふと現れる「啓示」のイメージが。
"The Boxer"―――ずーっといつやるんだろうと思っていました。有難うございます。 私がアートの歌声を一番認めているのはこの曲かもしれない。この曲はポールのソロで聴くと物足りなくて寂しいんだ。"Still the man hears what he wants to hear and disregards the rest"の最後の"the rest"が柔らかく上がってくれないと。
最後は"Cecilia"―――子供の頃はこの歌詞にどきどきしたっけ。こんなに明るく軽快に昼間の情事を歌われちゃうとなあ。結局しかしこれこそがS&G、というかポール・サイモンであって、汚れた日常や負の感情を、ただただうつくしい音で聞かせるのだ。 歌い方を少し変えていて、"Jubilation"の部分を長く伸ばしている。まさしく観客の静かで深い歓喜を表しているようだ。 不足なく、しかし大袈裟でない、いいラストだったと思う。 (set list)
新宿に移動した頃に、ようやく気持ちよくハラが減ってきた。今日は何も食べていない。JTががっつり食わせてくれた。 ロックバーBに移動。PKが、ホールの"Celebrity Skin"、ニルヴァーナの"Been A Son"、レッチリの"Can't Stop"、フーファイの"Have It All"、ガービッジの"My Lover's Box"をこの順番で立て続けにかけてくれる。・・・おお。私の好きなバンドをこんなに覚えててくれて。なんて記憶力のいい子だ。 やはり今日のコンサートに行ったマスターが戻ってきて、S&Gをかける。マスターも感激した様子。「声が出ていないことに逆に感動した。これが40年の重みなんやなあ」と言う。
Jubilation (歓喜) *Cecilia / Simon & Garfunkel (1970) の歌詞。
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