Rocking,
Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?
全日記のindex 前の日記へ |次の日記へ
*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)
*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。
この日記のアクセス数:
*1日の最高=2,411件('08,10,20)
*1時間の最高=383件('08,10,20)
2009年05月02日(土) |
僕たちの歌を聴きに来てください 僕たちはいつも一生懸命歌っています |
23時56分。CHIKAKOさん(vo)からのメール。「清志郎が死んじゃったよ!」 23時59分。けいこさんからのメール。「清志郎が亡くなったそう。今から多摩蘭坂までチャリ飛ばす」 南阿佐ヶ谷ロックバーBに電話したら、取るなりマスター(g)が、「わかってます。たった今聞きました」と言う。「意味わかんないから、とにかく今から行くね」と言って切る。 顔を洗って着替えようとするのだが、うろうろして落ち着かず。自分が今連絡を取れる人間で、この訃報を伝えたい3人に電話する。・・・たった3人だ。10代や20代の頃なら、もっと周りに知らせたい人間がいた筈なのに。私にRCをおしえてくれた最初の彼氏(drs)、RCのコピーバンドをしていた二番目の彼氏(vo)、私設ファンクラブの会長をしていたOさん、誰でもいいから、RCサクセションを泣くほど好きな人に会いたい。 電話した3人のうち一人は元ダンナ(b)だ。一緒に日比谷野音を観に行った。それから茨城の矢田部公民館という、座席数800の小さいハコで、忌野清志郎&ニーサンズも観た。 清志郎のソロはY-BELL(b)と一緒に観た。もし彼の電話番号を今も残していたら、きっとかけただろう。
タクシーで1時にBに到着。看板に「今日は忌野清志郎関係しかかけません」と張り紙がしてある。この店があってよかった。でないと私は今夜、どうしたらいいかわからない。 RCのライヴ映像を流している。カウンターに座り、チンザノをなみなみついでぐいっと飲み、「どうすんだよ」と言う。「私、普段なんでもない時でも、RC聴いて泣いてるのに。今日、大変だよ」って。 マスターはちょっと躁状態だ。そわそわして、「いや、Bunnyさん、清志郎は生きてるから」と繰り返す。 死ぬってなんだ? よくわからん。意味がわかんない。 日本が世界に、説明抜きで誇れるロックバンドだったのに。 不意を突かれた。早過ぎる。もう一度RCサクセションを観る機会は来ると思っていたのに。 「ラプソディー」で涙ぐむ。この曲のおかげで私、バンドマンとしかつきあえなくなったんだ。責任取っていただきたいわ。泣く。けど、元々聴くたびに涙ぐむ曲だ。「私、泣いてるけど、悲しいから泣いてるのかどうかわかんない」と言う。 演奏が「ヒッピーに捧ぐ」になる。多分、今は一番ヤバイ曲だよね。人の死を悼む歌なんだから。そして私が好きなトップ3に入る曲だ。今日もやっぱり泣く。悲しいんだと思う。でもよくわからん。
隣の席に、某有名バンドのメンバーさんが座ってた。自分が共演したアーティストの名前をいくつか挙げ、「頑張っていればそのうち清志郎ともやれるかと思っていたのに」と言う。「なんかもう怖いものなんかないな。清志郎が死んじゃうんだったら、俺なんか死んじゃったっていいかって気になるな」って。 私は3年半前に'Rhapsody Naked'の「指輪をはめたい」を聴いた時に、「もう今死んでもいいや」って思いました。
清志郎の歌詞は、納得できないものも多かった。「わかってもらえるさ」ってのは甘えじゃないかって思ったし、「恐るべきジェネレーションの違い(Oh,Ya!)」なんて、言ってること全部間違ってるなとすら思った。(どう考えても大家のほうが迷惑だろw) けど。 「僕の自転車の後ろに乗りなよ」で、最初は「僕はそれほど悪くない」と言っているのだが、繰り返すうちに本音が出て「僕はちっとも悪くない」と叫ぶ。 あの、驚くほど裏表のない、まるっきり素っ裸の、清潔とすら言える、正直さ。 「ファンからの贈りもの」で、「つまらない物はゴミ箱に捨てるぜ」と歌う。「つ・き・あ・い・た・い」で、「偉くない奴とはつきあいたくない / だけどそいつがあれを持ってたら、俺は差別しない」と歌う。「本当に、偽善ってものが嫌いなんだろうなと思う。 清志郎の言葉は全部、とにかく本音だった。真剣だった。いつも真剣に、一生懸命に歌っていた。だから、正しいかどうかを超えて、胸を打った。 だから。全部アタマに入ってる。
「愛しあってるかい?」なんてダセえセリフ、清志郎じゃなかったら許されるわけねえよ。それも含めて、清志郎が「どしどし熱いラヴソング」だとか狭い語彙でベタなことを言うたびに、いちいちみんな感動してきたんだ。「どうも有難う!感謝します」って言うだけで沸いたんだ。
口から出る一言ずつが、印象的だった。
そしていい声だった。これだけは、努力したって得られない。
いないって。まだわからん。心から泣けない。何だソレ。いないって。
遅くにけいこさんが現れる。本当に多摩蘭坂に行ってきたらしい。他にも何人か来てたって。
いつの間にか酔っ払って。つぶれた。吐いた。20代のカワイイ男の子にずっと介抱してもらってたけど、あんま覚えてない。 タクシーで帰って、苦しくてすぐ寝た。起きたら体重が2Kg近く減ってた。
僕たちの歌を聴きに来てください 僕たちはいつも一生懸命歌っています *メッセージ / RCサクセション (1972) の歌詞。
前の日記へ |次の日記へ
|