Rocking,
Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?
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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)
*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
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2009年01月01日(木) |
New Year's Day in hospital |
朝はいつも6時頃には検温か何かで起こされる、というか痛みで眠りが浅いので看護婦がドアに手をかけるや否や目を覚ます。ずっと熱があるのだが全く自覚はない。未だに傷表面の痛みも全く感じない。ハラの中の痛みでそれどころではないのだ。
これまでに自宅以外の場所で年越しをしたのは、帰省(それもほんの2、3回)を除けば、20歳の時にサン・ディエゴで一度だけだ。まさか病院で新年を迎えるとはなあ。 朝食が数の子、ナマス、黒豆、カマボコ、などでおせち風になっている。元々おせちは保存食だし、朝から出されても地味で温かみに欠けるが、しかしこういうちょっとした「気分」があるというのは、入院患者に取っては大きい。私でもそう思うのだから、まして長期入院の場合は尚更だろう。
元ダンナ(b)がケーキを買ってきてくれる。一昨日は和菓子を買ってきてくれた。夕食は、昨日買っておいてくれたお節を二人で分けて食べる。これは母が必ず買うようにとお金を置いていった。母は最初は自分が元旦に私とお節を食べるつもりだったのだが、私に帰れと言われてしまったので、元ダンナに頼んで帰ったのだ。・・・ああ、こう書いていると自分がとんでもない人非人に思えてくる。 しかし母に退院までいて欲しくなかったのは、喧嘩をする前からのことだ。母には(年末年始だったからまだよかったようなものの)日舞師範としての仕事があるのだ。これは何も私が自分の手術より母の仕事を優先して考えているから言うのではなく、私の中で、母に側にいて欲しいという気持ちがはなからあまりないのだ。要するに、私は親に対する愛が薄い。 今回も親に入院を連絡したらすぐさま飛んで来てくれたわけだが、正直言えば親に連絡するのが筋だと思ってしたのであって、来てくれる相手を選べるのであれば元ダンナにしたと思う。(彼は私の腫瘍がわかった時から、手術日が決まったら行くから知らせてくれと言っていた) などと思いつつ食べたお節は、美味しいが何となく後ろめたい。
そして、元ダンナに対しても、連日何かと文句を垂れていたりする。自分も健康体ではないのに、東京まで来て毎日全部私の為に費やしてくれているのだから、ひたすら感謝しなくてはいけないのはわかっている。まして彼は今や他人なのだ。なのにすぐ昔に戻って、「・・・ったくすぐそうやって適当に返事するんだから」などとやってしまう。 母より元ダンナに世話されるほうがずっと気が楽である理由は、ぶっちゃけて何でも頼めるからだ。しかしそのぶん感情の起伏も簡単にぶっちゃけてしまう。 それでも全く怒らずにつとめて笑顔で接してくれるのは、元々私に弱いというのもあるけれど、今は特に術後の私に気を使っているんだろう。・・・愛されてるなあと思うが、離婚した事実を思えば、それも苛々の種になりかねない。
今夜もちょっとしたことできつく当たってしまい、後でメールして謝り、「こちらこそゴメンね」という返信を見て更に気分が落ち込み、電話でも謝る。 ・・・ああ、私は何でこんななんだろうなあ。 *随分たった今考えてみると、単純に体調が悪くて苛々していたことが大きかったのかとも思う。けれどとにかくゴメンよ、元ダンナ。 (2/9up)
New Year's Day in hospital (病院で元日を迎える)
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