Rocking, Reading, Screaming Bunny
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Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2004年01月13日(火)  Wanna Hold You / The Rolling Stones

朝、両親を先に行かせて、一人後から祖父宅へ。準備中にゆっくりコーヒーなんか飲んでたら、遅刻しそうになって最後焦った。・・・実は昔、伯父のお葬式に遅刻した前科があるんだ・・・。
私って、どんなに急いでても、ふとコーヒー入れちゃったりするクセがあるんだよねえ。でもそれは私にしてみれば、絶対に必要なのよ。精神の安定? ・・・何だか知らんけど。

10時に読経が始まる。ぴんと正座して固まる。実は私、正座は得意。コレだけは日舞師範の娘の面目躍如。(着物もたためないけどな)
おまけに仕事を辞めて以来、ぼーっとするのが得意になった。なので今なら、読経くらいへっちゃらな筈。みじんも動かずに、そのままXeroXのメンバーのことなど考える。・・・あっという間に読経終了。やっぱり楽勝だったわ。見ればあちこちに足が痺れて立てない人たちがw

出棺。叔父の奥さんであるKが、ひとり廊下の陰で泣いている。行って肩をささえたら、わっと号泣して私の胸に顔を埋めてきたので、そのまま抱きしめてしばらく背中を軽く叩いていた。
私はハグ好きで、以前には遠慮があってそうそう誰彼なしに抱きつけなかったのだけど、今じゃ結構色んな人を平気で抱擁するようになった。
今回帰省してすぐに、祖父も抱擁した。3日後に祖父が亡くなった時、抱きしめておいて良かったと思った。
以前に知り合ったアメリカ人女性に、日本人は普通人前で抱き合ったりしないのだとおしえたら、 「私、ハグやキスを出来なくなったら、寂しくて死んじゃうわ?」 と言っていた。
うん、私もそうだわ。キスはともかく、抱きしめさせてほしい。

火葬場は海沿いにあって、海風が吹きつけて寒かった。私も、母のブティックからもらったブルー・フォックスのコートを着る。
M島は暑くて、来た日にはクーラーが入っていたほどだったが、祖父の亡くなった日から雨になり、急に寒くなった。こちらは殆どのところで暖房設備が整っていないから、逆に寒くてしょうがない。今日は雨がやんだので助かったが、朝からどんよりと曇っていて、風が強い。

実は火葬に立ち会うのは初めてだ。
ひとを焼いてる。ひとを焼いてる。ひとを焼いてる。
何十回と頭の中で同じことを考えた。ひとを焼いてる。ひとを焼いてる。
どうして皆、平気なんだろう。何か理不尽なものを感じるが、勿論そんなのは子供っぽい我儘に過ぎない。
どうせ私は何事も成し遂げられない人間で、いつも他人達のつくった 「システム」 に呆然としてるんだ。
みんなが、疑問なく大きな「システム」に従って、そしてひとを焼いている。

帰りの車の中で、先ほどまで涙ぐんでいた大伯母が、けろりとした顔で私にお見合いの話を勧めてきた。大伯母は那覇で結婚相談所をやっているのだ。年収2千万円の歯医者だって。「これも考えようによっちゃ、お祖父ちゃんがひき合わせてくれたご縁かもよ」などと言う。
・・・私、そういう考え方は嫌いだわ。亡くなった人は何も引き合わせたりしないよ。

しばし祖父宅で働いた後、一度着替えのために一人で家に戻る。コーヒーを入れてしばしくつろぐ。疲れた。
たいして休んでもいないうちに、先ほどの大伯母が、話があるといってうちに来てしまう。やはり見合いの話で、受けろと言う。沖縄に戻るつもりはない、などと言って逃げていたが、「じゃあ訊くけど、今、彼氏いるの?」と言われた。・・・く、くっそー。わかったよ、会えばいいんでしょ。会えば!!
親のお金で那覇に旅行して、いいホテルに泊まって、いい服を買ってもらって、友達と会って、そのついでに見合いするくらいの気持ちでいいのなら、と言った。大伯母は、会わせてしまえばこっちのものと思っているらしく、それでいいと言う。

また祖父宅に戻り、3時から5時半は告別式の受付。祖父は、市の教育長から収入役までした人物なので、弔問客も相当な数に及び、玄関から庭を抜けて門の外まで長い列が出来た。500個用意したお返しが足りなくなる。
受付にいる間に相当冷えた。一緒に並んで立っていた従姉妹二人も震えている。喪服は薄いうえに、風がすごいのだ。その後2、3時間たっても体の冷えが取れなかった。



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