沖縄人日記
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2004年09月20日(月) |
沖縄本島南部ぶらり(大急ぎ汗だく)旅 |
午前中は食品を買いに行って、ついでに宝くじを買おうとしたら売り切れてた。 ぐはっ。 最近、宝くじをちょくちょく買うのだが1等の組が同じで番号が違うのが、何回かあった。 どこかで、まだ余ってないかなぁ。
午後はホームページ用の撮影に南部に行く。 始めは月に2回ほど訪れる平和祈念公園。 平和祈念資料館の5階展望台が最高の眺めだ。 この前、来たときは窓ガラスが汚れていて、写真を撮れなかったが 今日はきれいに磨かれて鮮明に360度見渡せる。 水平線も見えてきれいだ。 平和の礎(いしじ)が整然と並んでいる。
一緒にエレベーターに乗った関西人観光客カップルの彼女のほうが 「沖縄に住みたくなーい。暑すぎるよー」(関西弁で) 「ねぇ、沖縄に本当に永住したいのぉ?」 っと彼氏に言っている。 彼氏は困ったように「う〜ん」と言った。 って、沖縄に住んでいる私がここにいるんけど! 彼氏!彼女と別れて永住しなさい。 永住してる人いっぱいいるよ。
平和祈念公園内の沖縄戦没者墓苑に向かう。 摩文仁の丘(まぶにのおか)にあるのだ。 ここは沖縄地上戦でかなりの犠牲者を出したところ。 首相や皇族もここに参拝にくる。
献花をしようと献花販売所に行く。 といっても、おばちゃんが3人座っているだけの所だ。 「ください、いくらですか?」と聞くと 「はい、600円ねー」と言って花と線香を渡す。 「線香は火をつけなくても、そのままでもいいからねー」と言われた。 良かった。 タバコを吸わないのでライターを持ってないのだ。 よく見ると、花がけっこう重い。大きい。 ベンチに腰掛けて見ると、花束は2つ、線香も2本入りが2つある。 つまり、300円の花を2つ買わされたわけだ。 ひとりなのに・・・。
気を取り直して、沖縄戦没者墓苑に向かう。 摩文仁の丘は各都道府県の鎮魂の塔が建てられている。 所々に献花がされてある。
沖縄戦没者墓苑に着いた。 けっこう歩く。 沖縄戦没者墓苑の前の売店にも献花が売っていた。 こっちは200円。 でも、さっき買ったほうが豪華だな。 沖縄戦没者墓苑の献花台に行くと線香がたかれていたので、火をわけてもらった。 4本立てて、墓苑に向けて花を置き、世界平和を祈る。 周りは誰もいない。 私ひとりだ。 しばらく、そこにいた。
沖縄戦没者墓苑を出て、2つ隣に群馬県の塔があった。 BUCK-TICKの出身地だ。 中に入ってみると、献花がひとつもないので、 先ほど2つ買ったうちのひとつを献花台に置く。 世界平和とBUCK-TICKを生んでくれてありがとうと拝んだ。
平和祈念公園を出て、もっと南へ進む。 今度は垣花樋川(かきのはなひーじゃー)だ。 ひーじゃーとは「やぎ」という意味もあるが「湧き水」という意味もある。
垣花樋川、到着。 かなり前に来たときとは違う入り口から入った。 古い石畳の急な坂道にうっそうと茂った草むら。 本当に190メートル先にあるんですかぁぁl?
やっと、着いた。 おお?! 遊歩道やベンチができている。 それに前よりも水量が多い。 子供が一番下の池で泳いでいて気持ちよさそうだ。 一番上の湧き水口には3人の男性が上半身裸で水浴びをしている。 ちょっとづつ、上の方へ行く。 思ったより観光客がいる。 私の後ろからは若い女性3人がついてきた。 一番上のベンチに座り、景色をしばらく眺める。 垣花樋川から流れる水を利用した、クレソン畑が段々畑になっていて、 遠くには海が見える。 私が座っているうちに男性陣は遠慮して帰っていった。 その後、女性3人が記念撮影をしている。 その後、私はゆっくり写真を撮ったり、水を触ってみたり、足をつけたりして、楽しんだ。
帰りがまた大変だ。 急な坂の上に、湧き水が道に流れていて、土がどろどろになっている。 少し、ヒールの高いサンダルを履いていたので、歩きにくい。 泥もついている。 やっと、道路に出た。 道路にも垣花樋川が流れているので、足とサンダルを洗う。 ナイキのエア マックスを履いてこないでよかった。 サンダルは安かったが、デザインも良くて、泥もすぐにおちた。
よし!最後は斎場御嶽(せーふぁうたき)だ。 御嶽とはお祈りをする自然の岩などを拝む。 ここは琉球の祖神とされるアマミキヨが創った国初めの七御嶽のひとつとされている。 奥にいくとぽっかりあいた岩の隙間から神の島とされる久高島が見える。 琉球王朝時代は男子禁制で国王でも入れなかったとされているところだ。
本当の目的は玉城村のカフェで優雅にお茶でもしようと思ったのだが、結局いけなかった。 ハードすぎる午後であった。
ホームページを立ち上げたら、デジカメ画像をアップするからみてくださいね。
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