最近、読んでいた本に
塩谷達也さんの「ゴスペルの本」というのがある。
今日も読んでいた。
その中に、こういう文章があった。
「こてこてのマスクワイヤーであろうと
カントリーゴスペルであろうと、ヨーロッパの賛美歌であろうと
昨日作った自分のオリジナル曲であろうと、そこにこめられているものが
同じであればそれはみんな、ひとつのゴスペルでしょう。
人を通して、歌を通して、GOODNEWSが本当に伝わっていれば
それは必ずわかる。やっぱり。ましてや、神様にはわかるでしょう。
余裕で。それでいいんです」
「そうしたら何を歌ってもゴスペルなんです。その人そのものが
ゴスペルだから。僕は教会で育ったわけじゃないし、
いわゆるキリスト教文化の中だけで、それなりのスタイルを持って
ゴスペルを歌うというのではむずむずしてくるんです。
そこだけにおさまらないんです。自然にやりたい。自由にやりたい。
だってそれこそが神様が教えてくれた僕の魂の自由、
ゴスペルなんですから。
ゴスペルはスタイルじゃないから。だって黒人霊歌と
コンテンポラリーゴスペルの違いとかは、一番大切な事じゃないでしょう」
なんか、いっぱい引用しちゃったけれど、
心に響く文章だった。
私は私なりのゴスペルがある。それでいいんだなぁ。
そして神様はそれを必ず、必要な人に届けて下さるんだ。
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