2004年08月01日(日) |
神障り、霊障・・(その原因は、無知) |
先日から、日記の中では、 神仏について、お伝えしています。
私の元には、多くの問い合わせや鑑定依頼、 又、相談者の方からのご質問が寄せられています。 まだ、 お返事を出す事ができていない方もいらっしゃいます。 必ず、本日か、もしくは明後日までにはお送り致します。 どうか、もうしばらくお待ち下さい。
実は・・今回のお話で、 みなさんには、まだ重要な事をお伝えしていません。 これは、多くの方に関係する事です。
世の中には、 「あんなに、一生懸命に信仰しているのに、何故?」 「幸せになろうと、常に、努力しているのに何故?」 と世間から、噂されている方が少なくありません。
神仏に敬意を払い、一生懸命に励み、お経も読んでいる・・ なのに、全然、悩みや苦しみが減らない・・ 逆に、災いが多くみられる・・何故なんだろう? そう、思われる方が、 貴方の周りにも、いらっしゃいませんか?
実は、 神仏に対し、真剣に敬い、敬意を払っているにも関わらず、 何の効果も無い・・逆に災いが多くみられる・・という場合、 六明師の霊視によると、 その殆どが、間違った信仰心を持っている・・との事でした。
真に仏教を理解しようとせず、 自分の考え、思い込みで、自分に都合の良いように、解釈している・・ これでは、新興宗教と同じです。 当然、「幸」からは遠く離れてしまいます。
お釈迦様は、 不幸せの原因は「無知」である・・と仰っています。
視えざる世界を信じる事ができない 信仰心の無い方の多くは、 自分の目で、確かめる事ができなければ、信じない・・ 実証できない事は、一切を否定する・・・と言います。 己の目だけを真理とし、己が一番と考えている、 全くの「無知」である為に、 当たり前に、幸せから遠く離れ、大きな災いを受けます。
そして、もう一つの「無知」から来る 神障り、霊障について、お話しなければなりません。
まず、霊障について・・・。 その方は、高齢の女性です。 先祖代々からの宗派に属し、お経も唱え、信仰心は強い方です。 悩み、苦しみについて具体的なことはお話できません。
もう一人の女性・・ 彼女は、仏教に関心が深く、常に真理とは何か・・ 己を向上する為に、心から探し続ける方です。
最初の女性の霊障・・その原因は、明らかにお経でした。 驚かれた方もみえるかもしれません。
誤解の無い様に、申し上げますが、 私は、その宗派を否定しているのでは、ありません。 表面の私も、ユタの私も、 全ての宗教、宗派の根本は、皆、同じである・・と考えています。 私は、それぞれが、 各個人にあった宗教を選択しているだけだ・・と思っています。 いつでも、私は、各人の信仰を心から尊重致します。
その女性の大きな原因は・・ お経を唱える時間帯・・又、その時の考え、感情・・でした。 ユタの私は、 悪しき心にて、得るもの・・と声にしていました。
実は、 その女性は、深夜になってからお経を唱えていました。 それも、 一日あった出来事の恨み、つらみを必死に仏前に通していました。 「助けて下さい・・」彼女の祈りは、まさしくその一言。 この時間、最も強くなるのは、成仏できていない御霊です。 この女性の感情、 悪しき心と波動を同じにしている、 低い位置にいる御霊が、その女性の元に集まっていました。
向上心のある彼女の場合・・彼女もお仏壇をお守りしていました。 若いながらも、毎日のお勤めをこなそう・・と頑張っていました。 彼女の原因は・・・・仏教の作法に関する事。 お位牌を毎朝、丁寧に、丁寧に、磨いていました。 これが、原因。 人の手は、いくら綺麗に洗っても、 視えざる世界においては、煩悩にまみれた欲の多い手です。 どんなに修行を積んでいてもです。 お位牌の霊位は、それを大変に嫌がったのです。
仏教には、 それぞれの宗派により、様々な細かい取り決めがあります。 作法には、それぞれ意味があるのです。 間違った行いをすれば、それは障りに繋がります。 お二人とも、「無知」から来る障りです。
では、真理への眼が塞がれている、 真の信仰を知らない「無知」からくる、神障りについて・・
その老人は、 神社の境内にある石を持ち帰り、大事にしていました。 何でもない、どこにでもある様なただの石です。 強い自分勝手な信仰心から、常に神様の側にいたい、との思いからです。 それが、神障りの引き金でした。
もう一人の方は、有名な資産家でしたが、 精神的な疾患を抱える息子さんがいらっしゃいました。 裕福な方で、先祖代々の土地には井戸がありました。 自宅を新築に立て直すときに、その井戸を埋めていました。 その方は、地鎮祭は、無駄な経費・・と考えていました。 原因は、土地の因縁・・水の神様からのものでした。
これまで、お話した方々の共通点は、 神仏に対する敬う気持ち、信仰心が「表面的には」有るという事です。 ただ、 それぞれが、皆、自分勝手な、自分に都合の良い、信仰心です。 厳しく、申し上げますが、偽の信仰心なのです。
真の神仏を知ろうとは、していません。 これこそが、最も大きな障りの原因・・なのです。
仏教とは、亡くなられた方の為にあるのではありません。 どの宗派のお経も、 全て、お釈迦様からの説法、教えを説いたものです。 お釈迦様が、生きていらっしゃる時に人々に説いた教えです。
どうすれば、幸せになれるのか・・それを説いたものなのです。 ですから、お経は生きている人の為の教えなのです。 お釈迦様の仰られた、 「無知」が不幸を招く・・この意味がご理解頂けましたでしょうか?
間違った行い・・誤った行い、考え、 古くからの仏教、神道の作法、教えを真に学ばず、 全てを網羅した教えとして、我流で、 真理を追究しようとするのが、実は、新興宗教の始まりなのです。
先ほど、どの宗派も否定しない・・と申し上げましたが、 私は、新興宗教は、その一切を厳しく、否定致します。
障り・・と呼ばれる事について、お話する場合、 どうしても、神仏のお力、仏教について語らなければなりません。
初めて、ここにいらっしゃった方々は、 ここは、宗教の勧誘か?と、勘違いをされる・・ 私も六明師も断じて、自分の宗派をお勧めする事はありません。 真理への道は、幾つも存在している・・と考えているからです。
『無知』 それが、どれだけ恐い事か・・ 殆どの方が、無知であったために、 数多くの誤った行い、思いにて、多くの「苦」を生み出したのです。
私は、老人と呼ばれる賢者の方々が大好きです。 何気なく、話される会話の中、 その中には、幾つものヒントが隠されています。 古くから伝わるお話には、 数多くの真理が隠されている事が多いのです。
「気づき」と「知る」とは、全く違います。 障りの多くは、幸せになる為の「気づき」です。 常に、毎日「気づき」は与えられています。
「気づき」を「知る」に変える事が幸せへの道です。 小さなヒント「気づき」で「知る」事ができない場合、 それは、段々と大きな「気づき」に変ります。
貴方にとって、数多くの善き気づきとなりますように・・ 私は、それを願い、この日記の中で、様々な事をお伝えするのです。
貴方が今ある小さな気づきの中から、 大きな真理への道、幸への道を知る事ができますように。
貴方の「苦」は気づきであり、 それは「幸」への一つの階段である事、 貴方が、それを心から知る事ができますように。
貴方が常に、幸せである事を私はいつでも願います。 心を込めて。
−AYA−
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